アートは自由がいいのか?ルールがあるほうがいいのか?日本と世界の現代アートの環境は乖離している。

      2017/06/20

〇〇アーティスト?なんでもアートになってない?

アートマーケット
彫刻家の大黒貴之です。

近年、日本各地で○○ヴィエンナーレやトリエンナーレが開催されています。
作家が作品を発表する場として、そして町おこしの一環として芸術祭が
開催されるのはとてもいいことだと思いますし、実際多くの人が
会場に訪れて「現代アートってなんだ?」と考えながら体験していくことはとても重要です。

しかし、その一方で現代アートを活性化させていこうというのであれば
それと平行して、よりマーケットも広めていく必要性があるとぼくは考えます。

以前、ある画家の方と話しをしていたのですが、日本には国立、公立、私立などをすべて含めると
1000もの美術館があるといいます。しかし、その多くは経営難に陥っているそうです。

「展覧会を開催しても人が来ない」というのがその主な理由だそうです。

日本はバブル時代には、その有り余る資金力で海外の有名絵画(主に近代絵画)を購入したり、
日本各地に美術館を建てまくりました。

60年代くらいから「これからは日本は現代アートが来るぞ!」という流れがあったようです。
当時団体展からドロップアウトして活躍し始めた若い作家たちの作品を購入したり
倉庫に管理していた、先見の明があった画廊などは、
その波に乗って、管理していた作品が一気に美術館に収蔵されていったといいます。

当時の日本の美術界(特に百貨店ギャラリー系)で活躍していた画家の方の話によれば、
描いても描いても追いつかず描く前から注文が入る状態だったそうです。

本当はこのときに、アートのインフラをつくっておけばよかったのですが、
大方は投機目的で美術品を買う人たちだったので、バブルが弾けた後は
「あ~、もう美術なんてこりごりだ」という結果になってしまったというのが当時の状況ではないでしょうか。

日本の美術界はとても複雑な構造で形成されて、大きく分けると以下のような構造になっています。

1、日展、院展、二科展、行動展などの美術団体。
2、百貨店が持つ画商
3、貸し画廊
4、近現代アートを取り扱う画商
5、現代アートを専門に扱うギャラリー
(画商・画廊・ギャラリーと使い分けていますが、違いはまた記事にしたいと思います)

ドイツには、○○芸術協会などという組織のようなものはありますが、
基本的に百貨店の画商や貸し画廊というシステムはありません。

上の1~5で展示されたり販売されている全ての作品は、アート(美術)という認識になります。
しかし、すべてが現代アートというジャンルの作品ではありません。
それに加えて、テレビをつけると芸能人アーティストが紹介されたり、タレントやミュージシャンも
アーティストとして紹介され、そこに○○アーティストやクリエーターという言葉まである。
「そもそもアートって何?的な」現状で、もうなんでもアート状態になっているようにぼくには映ります。

どうやら「アート」いう言葉だけが勝手に一人歩きをして、
それぞれが都合の良いカタチでアートという言葉の定義を持っているようです。

そして、現代アートはよくわからないものという認識に・・・

アートの概念に定義(暗黙のルールのようなもの)は必要なのだろうか

アートの概念に定義を設けないというのは、
「定義を設けると自由な発想で作品が生み出されないからだ」という意見がありますが、
ぼくは少し意見が異なっていて、自由すぎると逆にいいものが出にくいという
こともまたいえると思います。囲碁や将棋、麻雀、野球やサッカーなどは
とてもシンプルなルールにのっとったゲームですが、
だからこそそこから幾万ものストーリーが生まれたりして感動を呼ぶわけです。

ぼくがドイツで経験したことでいうと
明らかにドイツの現代アートには「暗黙のルール」のようなものが存在しています。
そこから逸脱した作品はその分野の人たちからは評価されないようです。

アートは、ギリシャ時代から連綿とヨーロッパの歴史の上に構築され、
それが印象派以降、教会や貴族のお抱え画家から芸術家という独立した存在へと変貌していきます。
そして、戦前はパリやロンドン、戦後はアメリカを中心に
現代アートして世界に根付いていくのです。

日本には、日本美術の歴史がありますが、
「ヨーロッパには、アートというものがあるらしい」
「フェノロサが、桂離宮が絶賛しているぞ」なんて
背景をもとに明治以降に編集されたもので、
平安時代や江戸時代にアートなんてものは存在しませんでした。

浮世絵なんかも、芸人のプロマイドや雑誌みたいなものです。
今でいうとモデルや芸能人のポスターみたいなものです。

実際に、ジャポニズムという言葉が生まれました。
浮世絵に影響を受けた彼らはどこで浮世絵を見つけたのでしょうか。

当時、パリで万博が行われ、日本からは陶磁器が運ばれ展示されました。
それらを運ぶためにつくられた木箱の中に
クッションとして詰められていたのが、浮世絵だったのです。

今日では、世界の美術館などでサンサンと展示される
浮世絵ですが、当時はクシャクシャに丸められて
陶磁器のクッションになっていたのです。

今で言うと雑誌や新聞紙と同じ扱いですよね。
参考記事:「浮世絵は、かつてクッション材だった? 」

一度風通しを良くする必要があるのでは?

少し話が逸れましたが、
日本では、現代アートってわからないという認識に反して
欧米に加えてアジアでも、ますます現代アートが認識されているようです。

一方で、現代アートの分野において世界と日本は乖離しているので
これを是正していく必要があるという認識が美術界や行政にもあります。

今後、日本でも現代アートの環境を整えていこうとする動きが
活発になっていく可能性も感じます。

いずれにしても、どこかで風通しを良くする必要があります。

関連記事:「現代アートにおいての重要な職業ギャラリスト。ーベルリンのギャラリストとの交流からー 」
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関連記事:「現代アートではなく、建築や映画界の環境は世界と比べてどうなのだろうか 」


大野左紀子さんの著書「アート・ヒステリー-なんでもかんでもアートな国・ニッポン-」
日本のアート界を大変よく分析なさっておられます。
是非、ご一読を!

Author by gross-schwarz

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