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彫刻家の大黒貴之(@takayuki_daikoku)です。

ドローイングは、日本語で「素描(そびょう)」と言われ、鉛筆や色鉛筆、インク、絵具などが使われることが多いです。

自身の場合は、は鉛筆で描くことが多いですが、絵具も取り入れています。日本の美大や芸大受験時には「デッサン」課題が出題されます。鉛筆や木炭などを使って、静物画や石膏像、人物、動植物などが出題されます。デッサンは観察力を鍛えるため、そして、鉛筆でそれを表現するための”筋トレ”のようなものだと思います。

観察すると普段見えていないものがどんどん観えてきます。ですから、大学受験のときに体験したデッサンの時間は今にも活きていると感じています。

観察することは、絵を描くだけでなく、社会や人を観る目を養うことにもつながっていると思うからです。

また、スケッチというのは、習作、または図面のようなものだと考えています。

私のドローイングは、デッサンやスケッチではなく、「彫刻が現前する、前兆、もしくは予兆のようなもの」です。

ドイツの場合は、先のようなデッサン課題はないようで、大学の教授に直接自分のポートフォリオなどを持ってプレゼンをし、教授がOKを出したら、その人に師事をするという具合です。


2002年にベルリンに滞在していた時に、ドイツ人アーティストからドローイングのことを教えてもらいました。「ヨーロッパでは彫刻家がドローイングを描くことは伝統的であり、かつ、ドローイングを主に蒐集するコレクターもいるんだ」「スランプに陥ったときには特にドローイングをするのが良い。自分がまだ発見できていない新しい領域を見つける手がかりになるんだよ」と。

「線を描く」と言っても、それがなかなか難しいものです。ただ線を描くのではなく、「自分の線で描く」ことが大事だからです。自分の線を発見するには、やはり何枚も何枚も描いて自分で見つけていくしかありません。言うなら、数稽古が必要なのだと思います。ベルリンのセミヨン・コンテンポラリーのギャラリスト、セミヨン氏は、ドローイングは特定の彫刻作品をそのまま描くわけではなく、作品の本質的特徴を表わしていると論じています。

ドローイングはシンプルが故に作家の実力が見事に現れるといいます。

サルバドール・ダリはドローイングの魅力を次のように表現しています。

「Drawing is the honesty of the art. There is no possibility of cheating. It is either good or bad.」(ドローイングは美術における良心だ。なぜならば、一切のごまかしがきかない。いいか悪いかのどちらかでしかない。 )


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