小津安二郎60年前の予言 「お早よう」 もはや挨拶も無駄なもの?

      2017/11/23

彫刻家の大黒貴之(@Gross_Schwarz)です。

日本社会において戦後、合理化や効率化という言葉の大儀のために
不必要なものや無駄だと思われることは省かれきたように感じます。

人々が毎日のように交わす
「おはよう、こんにちは、こんばんは」という挨拶。

不必要なものはいらないと考えると
この挨拶もいらないということになります。

してもしなくても、生活はできるし、仕事もできるからです。

しかし、この挨拶は人が会話をする上で、とても大切な起点になるのです。

「おはよう」という挨拶は無駄なものなのだろうか

ohayou.jpg
小津安二郎監督が制作した「お早よう」という作品があります。
1959年に公開された映画です。

日本の家庭を背景にして、日本が抱えるであろう問題を
社会に問い、未来への警鐘を鳴らす小津作品のハイクオリティには
驚きを隠せないと同時に、大いに考えさせられるものがあります。

ざっくりとした概要を話しますと、
戦後、日本が復興していく最初の予兆としてテレビが台頭してきます。

ある家庭の二人の兄弟がそれを欲するのですが、
その家庭の厳格な父は、そんな無駄なものはいらないとはねのけます。

それに対して、二人の兄弟は、子どもなりの反抗し始めます。

そして、大人たちも人と会ったら
意味も無いのに「おはよう」と挨拶をするじゃないか。

「それこそ無駄なことじゃないか!」

子どもたちはそう声を上げて叫ぶのです。

小津監督が60年後の今の現代を予測したかのようなシーンとセリフ。

テレビが流す情報と
それ自体の行為には意味が無いといえば無い日常の挨拶。

でも、その挨拶をきっかけに、会話が始まるのだろうし、
その挨拶を通じて、その人のその日の気持ちなどが
なんとなくでも伝わる大切な入り口になるのです。

日常の挨拶をする習慣

お早う-02
以前と比べると、挨拶をすることはめっきりしなくなっているように感じます。

知らない人には、特にしません。

しかし、僕がドイツに住んでいたときは
どこに行っても、例えば、ショッピングのお店や飲食店、公共施設など、
知らない人にでも、先ずは、「Hello!」「Guten Tag!(グーテンターグ)」という
挨拶から必ずと言っていいほど始まります。

ぼくも日本に帰ってきてからは挨拶をする習慣を心がけています。

芸術や哲学も無駄なもの?

お早う-03
芸術や哲学や歴史などの学問も、
一般的には無駄なものだと思われています。

というのは、別にそれを知らないからといって
生きていくことはできるからです。

ですので、世の中が不景気になったら、
真っ先に芸術文化の予算は削られます。

しかしながら、人が心を豊かにして生きていくには
無駄な部分が必要なのだと思います。

なぜかというと、どんなものにも必ず「遊び」という間が存在するからです。

その遊びはいわゆる娯楽ではなくて、「心の余白のこと」です。

芸術教科は副教科ってどういう意味なの?

お早う-04
学校教育では、芸術の時間が年々削除される傾向にあります。
それは受験には関係ないからです。

ある中学校の生徒やその親たちの一部には
5教科が「教科」で、残りの4教科は「副教科」だと言うそうです。

ぼくはそれを聞いて驚きを隠せませんでした。

なぜそれらは全てつながっているのだと捉えないのでしょうか。

よし、それではこうしましょう。

一週間、朝から晩まで5教科ばかりを勉強しよう。

部屋には絵画や彫刻など無駄なものを置くのはやめて、ただ真っ白な壁にしてしまいましょう。

これなら無駄はないし全ては効率的に生活ができます。

ぼくはきっと気分が悪くなるでしょう。

美味しい食、素晴らしい伝統、文化、
時間通りにやってくる交通機関に宅配サービスなど、
日本は戦争もなく物質的には何でもあるのに、
なにか心が満たされないと感じることがあるのもまた確かです。

映画「お早よう」を見ると、
もはや挨拶ですら無駄なものになるかもしれないと
小津安二郎監督は60年前の予言していたかのようです。

ぼくだけが感じている錯覚なのでしょうか。

それとも「心の余白」がキュウキュウとしているからなのでしょうか。

(2009年3月9日の記事「映画「お早う」と無駄ということ」を加筆添削した文章です)

Author by gross-schwarz

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