素晴らしい現代アートの作品は、人が持つ深く普遍的なところをくすぐる力がある

      2016/11/15

コード(記号)

彫刻家の大黒貴之です。

以前、あるドイツ人と
「この世の全てには、"CODE"(記号)がある」
という話をしたことがあります。

つまり、共通の規則があると彼はいうのです。

僕たちが普段使っている言葉のコード。
それぞれの国の文化や習慣の中にあるコード。
芸術作品と鑑賞者を結ぶコード。
現代アートの中にあるコード。
自然の中にあるコード。

空気を読むのが上手な日本人

日本人は、他者に自分の感情を載せるのが
昔からとてもうまいと思います。
昔から自然の中の木や水、火や石などにも
神が宿るものとして、生活をしてきました。

その象徴の1つとして、大木や岩などにしめ縄がまかれています。
日本では、人も自然の一部であるし、
人も動物の一種だと言っても
それほど疑問は持たれませんが、
先のドイツ人に、
人も動物の一種だというと驚かれたのを憶えています。

犬は犬だし、木は木であるし、鉄は鉄なのだそうです。

だから、その中には魂は宿らないものだとされているようです。
日本人は「いたたきます」と 食べるものに対して
声をかける素晴らしい習慣があります。

一方、ドイツ語にも食事をする前に
「 Gute Appetit(グーテ・アペティート)どうぞ召し上がれ」
といいますが、これは、第三者が食べる人に対していう言葉で、
食べ物自体に言うものではありません。

そのことは、昔から石や木、水などに
神が宿るという多神信仰にみられるように
自分を他者に置き換えることが得意な性質を
日本人が持っているからなのからもしれません。

また、八百万の神信仰は、石や木などの自然の中に
神のような存在があるという空気を
読みっとっていたのではないかと思うのです。

しかし、この「空気」というものが、
日本の良いところでもあり、
同時に、弊害にもなっているように感じます。
(山本七平の「空気の研究」に詳しい)

ドイツ人の気質

ドイツ人はよく
「あなたがやりたかったら、やってください」
という言い方をします。

要するに、その人の意志を尊重しているのです。
ドイツでの意思のやり取りはとても合理的に思えます。

「基本的に自分の意見や意志が尊重されるので、
それぞれが意見を出し合ってその論拠を上げていく。
そしてそれが間違っていたとしても、
自分より正しいと思った意見を今度は尊重するんだ」
と先のドイツ人は言っていました。

ガチガチの論理を並べると同時に、
その意味では柔軟でもあるように思えます。
逆にいうと自分の意見がはっきりとなければ、
ほんとうの意味でのコミュニケーションが取れないに感じます。

ドイツに住むうえで、
なんとかして自分の意見を外に出すことはとても重要になってくるので、
僕のように多少、ドイツ語ができなくても、
その意見に耳を傾ける人はとても多いように感じます。

決して強制はしないし、良い意味での個人主義なのです。

これは、ドイツの基本憲法でそう謳われています。
仕事でもサービス残業などいうものは存在しません。
定刻が来れば、さっさと帰宅します。

基本的にルールには原則的にしたがって行動するのが
ドイツ人の気質のようです。

しかし、彼らも感情を持った人ですので、
子供ような行動や論理的でない行動をとることもしばしばあります。
それに回りの「空気」を読んで動くことだってあります。

「空気」の良し悪し

日本もドイツも憲法には、
基本的人権や国民主権が謳われています。

日本の場合は、ここに日本独特の
「空気」というものが流れているので、
ルールと空気の兼ね合いがとても特殊なんだと思います。

東日本大震災で明るみになった原発問題にしても、
富国強兵を大義にして戦争に突入していったのも
満場一致ではないと前に進まない特殊な会議にしても、
村のしきたりというものにしても、
サービス残業にしても
日本という土地柄が醸し出す
「空気」が発生させているのだと思います。

しかし、この空気を読んだり感じることは
日本独自の素晴らしい文化や歴史を
培ってきたというのも事実なのです。

日本人は、自分のことよりも、
世間と周囲など 自分よりも外に気を配る傾向にあります。

これがわびさびの精神や阿吽の呼吸という言われる伝統を生み出し、
また世界最高峰のサービス業を育成させました。

店員さんの対応や時間をきっちり守ることや
きめ細かな気配りを提供する日本企業や人々のサービスは本当に素晴らしいです。

相違的な二国の文化だが普遍的なものはあるのだろうか

このように言葉やデザイン、建物や習慣、食べ物や人の思考など
日本とドイツにはたくさんの相違点が挙げられます。

しかし、双方に共通する普遍的なものが存在するのだと僕は感じます。

言語学者のノーム・チョムスキーは、
人間は「普遍的な文法」を備えていると言いました。

各言語のもっと深いところに共通する言語があると。

何か言葉が通じなくても、
接していて楽しいとか なぜか自分の意思が通じるものがあるとか。
きっと「コード」という人間が共有する普遍的なものが
そこに介在するのではないかと僕は推測しています。

人が持つ一つの表現手段としての現代アートという
芸術の1ジャンルにもコードが存在するのだと思います。

しかし、それは、決して複雑な表現形態なのではなく、
とてもシンプルな表現なのだと思います。

先のような日本独特のオリエンタルな、
国内だけのコードではなく
世界に共通するコードを持った作品にしたいと僕は考えています。

自分の軸を持ちつつ、
日本とヨーロッパという異文化の特質を 共在させた、
そしてとてもシンプルな表現言語を用いたもの。

味覚、美意識、思考、教育、土地の及ぼす影響など
それぞれの国の人たちが感じている五感は違うと思うのです。

だから、現代アートを見てみても
それぞれの国の作家の作品の傾向が違いのは自明のことです。

しかし、その相違からもっと深いところにある
「本質的な何か」を作家は見つめる必要があるのではないでしょうか。

世界的に活躍している現代アートの作家は、
それぞれの国の良さを持ちつつ
同時に世界にも共通するコードを知っているだと僕は思います。

©大黒貴之 Takayuki DaikokuCosmos / コスモス 2015 Wagenitz Germany / ヴァーゲニッツ ドイツ

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