一人のドイツ人との出会いによってぼくの作家人生は変わった

      2016/11/15

日本でぼくがイメージしていたギャラリーとその実情

空と木
彫刻家の大黒貴之です。

ぼくがまだ学生のころ、
作家とギャラリーの関係をこのように思っていました。

作家はギャラリーに所属して、
ギャラリストは作家を売りこむために
良い展覧会を実施し、作品を販売していくものだと。

それは音楽業界や芸能界のシステムと似ている部分があり
現代アートの世界もそうなっているものだと思っていました。

ところが、実際に蓋を開けてみると
ほとんどそれが機能していないことに気づきました。

学生の時に初めて知った貸画廊というシステム

ぼくは関西を中心に作家活動を行っていました。
貸画廊は日本全体で8~9割を占め、
そのほとんどが場所を作家に提供して、収益をあげているレンタルスペースです。
つまり、貸画廊の顧客は主にその場所を借りる
作家になっているのが現状だと思います。

そのようなシステムの中で作家と貸画廊の関係を
今後も続けていくことにぼくは先が見いだせませんでした。

参照記事:「ベルリンのギャラリストから学ぶことと日本の貸し画廊というシステムについて」

もちろん貸画廊でも、美術館や美術関係者、コレクターなどに
アプローチしてもらえるギャラリーもあると思いますが
基本的には販売営業をすることはあまりないでしょうし、
作家が貸画廊に所属することもほとんどないと思われます。

このまま、アルバイトをしながらお金を貯めて
1年に1回貸画廊でドカッとお金を使って展覧会を開催するとして
果たしていつまでそれが続けることができるのだろかという
問いがいつも自身の中にありました。

でも、自分もいったいどうすれば良いのか
見当もつかなかったのだと思います。

24歳の時に第1次渡独をしたのは
そんな自分が嫌だったからですし
日本の環境から半ば逃げ出したい卑怯な気持ちもありました。

10年後に結びついた一人のドイツ人作家との出会い

ベルリン街並み
第一次渡独でベルリンに滞在をしていた時、
H.N.Semjon(H.N.セミヨン)さんと出会えたことは、
その後のぼくの人生の大きな影響を与えました。
セミヨンさんと出会った当初、彼は作家として活動をしていました。

彼は、作家の背後にあるデータ(学歴や経歴)よりも
自分の目で観て作品の良し悪しを判断します。

彼と出会った当時、ぼくはベルリンで行われる
グループ展に参加することになっていました。

それに出品するため制作していたぼくの彫刻を観て
好意も持ってくれて、そこから交流が始まることになりました。

ちょくちょく、彼の仕事場に足を運んでは
ドローイングを教えてもらっていました。

その後、彼が企画をしていた展覧会「intervension」に声をかけてくれて
ドイツで初めての個展を実施することができました。

そして、この時の出会いが10年後につながることになります。

日本での戸惑いと第二次渡独

出雲の大岩
しばらくして、日本に帰国をするのですが、
ドイツと日本の芸術環境の違いに戸惑いを感じながら
関西を中心に作品の発表をしていました。

しかし、心のどこかで
「またドイツで作品をつくって発表したい」
という気持ちがありました。
それが制作をしていくうえでの一つの大きなモチベーションになっていました。

日本に帰国してから、8年が経った2011年。

ぼくは、第二次渡独を実行します。

紆余曲折のドイツ滞在

ドイツに来たからといって、
日本人であるぼくがドイツ社会に入って
生活していくことができるのだろうかという不安で一杯でしたし、
また、どうなるのかも全くわかりませんでした。

それでも、日本で不平不満を垂れながらあがいているよりマシだと思いました。

あとは、必ずまた作品を発表して作家として
一本立ち(自分のスタイルを確立)をするというヴィジョンだけが頼りでした。

紆余曲折ありましたが、2011年にセミヨンさんはギャラリストになり、
彼が立ち上げたギャラリー、セミヨン・コンテンポラリーに所属することになりました。
そして、2013年にはベルリンの彼のギャラリーで個展を開催するところまでこぎ着けました。

学生のころ、ぼくが考えていた
ギャラリーと作家の関係がドイツにありました。

現代アートの環境を整えていこうという機運が日本にはある

フリーザック仕事場の空
セミヨンさんは、ギャラリーの所属作家を売り出すために日夜仕事に勤しんでいます。
当然、それがギャラリーを大きくすることにもなります。

ぼくも、ドイツに来て以来、ほとんどの時間を作品に向き合うことができています。

ちょうど3年前の今日4月1日、ぼくは再びドイツにやってきました。

まだまだ突っ走って行かなければなりませんが、
この3年間は本当に前進できたと感じています。

この体験は、今後も消えることはありませんし、
それがまた発展していくのだろうと思います。

日本のContemporary Art(現代アート)の環境は欧米に比べると
まだまだ整っていないと察しますが、
その環境を盛り上げていこうという機運が日本にはあります。

それに尽力する人たちには心から敬意を抱き、
また自身の刺激にもなっています。

3年の歳月が流れたドイツ生活4年目の春。

日本に遅れてラーテノウ周辺にも桜が咲き始めるころでしょう。

さぁ、次のステージへ進んでいこう。

2014年4月の記事「何章目かのピリオド」を加筆添削しました。

Author by gross-schwarz

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