なぜ芸術は必要なのか。それは長期的な視点で物事を考える力を養える、もしくはそのヒントになるから

      2016/12/21

不必要なものの必要性

彫刻家の大黒貴之です。

なぜ芸術や哲学など経済活動に不必要なものが社会には必要なのでしょうか。

それは「長期的な視点で物事を考える力を養えるから
もしくはそのヒントになるから」だと考えます。

また幼少から大人に成長していく過程で
情操面など人間力を養う上でも欠かせないものだとも思います。

芸術は、効率や合理化、スピードが求められる
ビジネスの中では特に意味がないものだと思います。

実際に、学校教育の中でも芸術教科の時間はどんどん削られています。
「美術も美術教科さえも、もはやなくなっていくのでしょうか」
つまり芸術は「遊び」なのです。

しかし、それらは人間社会を形成するうえで「必要な遊び」なのだと思うのです。

ぼくが現代の日本社会に感じるところは、
この「遊びの部分」が本当に少ないということです。

不必要な必要性

多くの地方都市にある風景

想うことをいくつか。
地方に行くと国道線沿いに大型チェーン店や
煌々とした巨大画面を屋外に設置したパチンコ店、
同じ敷地内に多様な店が立ち並ぶ
総合ショッピングモールのような風景が見えます。

駅のプラットホームには、 目立つために原色のフォントを
使用した赤や黄色の看板広告。
どこも、だいたい同じ構造です。

要は、いかに目立って客を引き入れようか。
売上を伸ばすためその論理は確かに間違ってはないのでしょう。

そういえば、地方からはどんどん若者が離れているそうです。

2040年ごろには、全国の約半分の自治体が
過疎化で消滅するという予測が出ています。

なぜ若者は離れていくのでしょう。

原発ゴミはどこへいくのだろうか

原発を使用した後に出るゴミ問題。

ぼくが高校の頃、確か化学の教師だったと記憶していますが、
彼が言うには
「原発は、エネルギーを生み出すと同時に
排出されるゴミもリサイクルして、
またそこからエネルギーを生み出せます」と。

ぼくは 「原子力というのは永遠にエネルギーを
生み出せる便利なものなんだなぁ」と関心したのを覚えています。

原発を導入してエネルギーを永遠リサイクルできるという夢の構想がありました。
青森県六ヶ所村の再処理工場には、
一時的に使用済み核燃料を保管しているだけです。
リサイクルが行われる福井のもんじゅは
全く機能しておらず2兆円もの莫大な資金が消費されています。

それらの料金はしっかりと電気代に上乗せされています。

なぜ、そのような非論理的なことがまかり通るこというと、
いわゆる原発村の利害関係が原因で、それらの施設を止めてしまうと
それに関連する会社が銀行から融資が受けれなくなり
経営が成り立たなくなるからだといいます。

核のゴミが出ることは当初からわかっていました。
導入してから50年以上経ちますがいまだにどこに捨てるか決まっていません。

日本中のどこもが受け入れを拒否している状態です。

核のゴミからでる放射能の有害物質が無くなるまでに
10万年かかるといわれています。

仮にゴミを引き受ける自治体が名乗りを挙げたとして
10万年の間、その地域の地下深くに保管されるゴミは、
いったい誰が管理し続けていくのでしょうか。

冷静に考えると拒否したくなるのは当然です。

目先の経済の潤滑を考えて、未来のことは次世代にどうぞよろしく。

子どもを育てる社会環境

少子化問題。

子どもが増えないと騒ぎながら少子化に歯止めがかかりません。

なんだかんだと言われていますが要するに子供を出産して
育てる環境が整っていないからです。

産婦人科の減少、深刻な待機児童問題、
高額な教育費、現役で就職できなかったり、
会社を途中でやめると社会に復帰するのが困難な現状。

そのうえ、即戦力だとか非正規雇用だとか、
公の教育機関ですら非常勤講師を継続的に雇い、
予算がないという得意の言い訳で人を育てようとしません。
参考記事:美術も美術教科さえも、もはやなくなっていくのでしょうか

一時的には会社は儲けたりその場をしのげるかもしれませんが、
気が付くとハタとそこに人材がいないことに気付くように思えます。

高学歴から一流企業へ就職することが一番だという認識があります。

実際そのような社会ヒエラルキーで日本は形成されています。

日本社会は、国家公務員、大企業、
地方公務員、中小企業、フリーランスというヒエラルキーになっています。

人生を安定させるため、だれもが同じ方向をめざし、
その枠から外れるとその枠に戻ることは容易ではありません。

しかし、社会はホワイトカラーの人たちだけで形成されているのではありません。

それぞれの分野が密接に結びついて形成されているのです。
参考記事:「世の中にはいろんな能力の人たちが必要。もし全員が同じような能力になったら社会はつまらない

両輪のバランスを維持すること

ある日、ドイツ人と日独の有給制度の話をしたことがあります。

日本の有給消化率は約38%、ドイツは約95%だといいます。

さらに残業も当たり前で、毎日終電まで働くものも珍しくないと。

しかし、国民一人当たりの所得はドイツの方が高いそうです。
そんなことを彼らに話をしたら、それは100年前のドイツと同じと言いました。

長時間働くことが良いように信じているが、
実は非効率で生産性の向上にはそれほど機能していないといいます。

働くときはしっかり働き、家族と過ごす時間や休みの時間を
確保することでまた仕事に集中できるのだとぼくは思います。

そのことにドイツは何十年も前に気付いたのだと彼は説明してくれました。

もちろん、芸術ばかりが必要というのではありません。

大事なのはバランスではないでしょうか。

短期的、長期的に物事を考えられる力を
形成させる両輪が必要なのではないでしょうか。

そのきっかけが芸術には包容されているのだと
ぼくはそう信じるのです。

Alles Gute! (アレス・グーテ!)

参考記事:想像力という「遊び」の必要性。想像力が社会を形成し未来をつくる

参考記事:先人が残してきた3つのもの。私たちは後世に何を残すのか 

Author by gross-schwarz

プロフィール定型文一括

ご質問・ご意見・作品資料
プロフィール
彫刻
ドローイング

Facebookページのフォローしていただければ嬉しいです!

Instagram

- Instagramもやっています -


人気記事 5選

1
アートは自由がいいのか?ルールがあるほうがいいのか?日本と世界の現代アートの環境は乖離している。

アートは自由だと言われますが、大切なことは発想や想像の自由であって、なんでも有りの自由だということではないと思います。ルールがあるからこそ面白く、また感動することがあるのです。

2
ギャラリストとアーティストは二人三脚で新しい音色をつけていく

作家とギャラリストの本当に良い関係は、近すぎず、そして遠すぎず、お互いをリスペクトし、信頼、感謝できるものでなくてはなりません。ベルリンのギャラリーと仕事をしながら想うこと。

SC-preview-04 3
ベルリンのギャラリストから学ぶことと日本の貸画廊システムについて

現代アートの世界で制作した作品を発表する場所の一つとしてギャラリーが挙げられます。しかし日本とドイツのギャラリー事情は違うようです。美術に携わる人たち以外にはあまり知られていないこの事情を書いてみたいと思います。

renmen Ensemble (outdoor), 2015, Variable ,Mixed Media  (Land Art Schlosspark Wagenitz) Photo : Takayuki Daikoku 4
「圧倒的な異質性」が現代アートの一つのキーポイントになる

現代アートは、対象物をうまく描けるとか具現化できるかというところで勝負をしているのではなく、キーワードの一つに「圧倒的な異質性」を押し出すことができるかどうかが一つの勝負所ではないかと考えています。

ギャラリスト 5
現代アートにおいての重要な職業ギャラリスト。ーベルリンのギャラリストとの交流からー

現代アートのギャラリストとはどのような仕事をするのでしょうか。ベルリンのギャラリスト、H.N.セミヨンさんとの交流から垣間見たぼくの一場面です。

 - 現代アート, 思考する, 日常