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彫刻家の大黒貴之(@takayuki_daikoku)です。

以前「人は見た目が9割(新潮新書)」という本が話題になりましたが、おおよそ当たっていると私は考えています。家屋だけではなく、門構えや庭などが立派だということは、なぜか威厳あるように映ります。それは着ている服装や時計、車などにもピッタリ当てはまります。お金を使う上で最もわかりやすいのは物質的なものを所有することです。

中身で勝負だと言われることがあるが人は知らない間に見た目で判断している

世の中は資本主義社会で目に見えないヒエラルキーに覆われているようです。ですので、同じヒエラルキーの人たちは同じような出で立ちをするのは必然なのかもしれません。

例えば、保険会社のセールスマンがなぜ高級統計やスーツをまとうのかというとそれによって、心理的に有利に立つことができるからだと言われています。人の心理は不思議なもので高級なものを身につけていたり、お金持ちだと分かるとその人は自分よりも何か上の立場にあるように思えてしまうようです。

人は中身で勝負だと言われるかもしれませんが知らない間に見た目で判断していることは多々あることです。

昔話にもこのような話があります。

ある日、怪我をした乞食の男がやってきて手当を頼むと意地悪爺さん婆さんは「あっちへ行け」と言いました。隣の優しい爺さん婆さんが「こりゃ、大変なこっちゃ」と手当をしてあげると実はその男は神様でした。

そのような話もあるくらいですから、きっと昔から人は見た目で判断していたのでしょう。現在でも、学歴や経歴によって仕事の量が変わるというくらいですから、今も昔も人の心理はほとんど変わっていないということがわかります。

目に見えないものの大切さって何だろう?私が聞いたとても感慨深い話

ところで、最近ある人と話をしていて考えさせられたことがありました。

商売で成功して、自分が理想とする立派な自宅を建てた人がいました。その家の周囲には、木材と漆喰、瓦でつくられた立派な塀も備え付けました。当時、家の周りにそのような塀がある家は
その辺りでは珍しく、その人にとっては誇りであり、大きなステータスだったのでしょう。もちろん、一生懸命、仕事にも勤しんでいました。

やがてその人にも孫が生まれ、家族三世代で暮らしていました。時代が流れ、その孫が成人を迎えたある日のことです。「おじいちゃん、この大きな家、建てたのはいいけど、これどうすんの? ぼく、この家には住まないよ」そのようなことを言われたそうです。

その立派な家に今は孫は住んでいませんし、その本人ももう住んでいません。その家を管理維持するにはお金がかかります。簡単に取り壊すこともできませんし、簡単に人に貸すこともできないでしょう。

その話を聞いたとき、お金の使い方の難しさや自分の世代だけで物事を考えることへの示唆にも感じました。

確かに立派な家を建てるということはそれだけ自身も努力し、人一倍頑張って築き上げた賜物です。しかし、未来永劫どころか孫の代までも続かないこともあります。

目に見えるものは、とても分かりやすく、目に見えないものは、わかりにくい

そう考えると物質的なものばかりを残すことよりも目に見えないものを次の世代に継承していくことの大切さをとても感じています。

個人で言えば、代々受け継がれてきた知恵や人生の教訓とか言葉や食べ物の味や人の根底に流れる大切なものなど・・・いわゆる名家とか何代も続く老舗を持つような系譜の人たちほどその辺の目に見えない大切なことをしっかりと押さえているように思います。

次世代への引き継がれていくものは金、技術、思想の3つしか残せないと言われています。

目に見えるものは、とても分かりやすく、目に見えないものは、わかりにくい。

人生や古今変わらない人の心理は奥深いものであると同時に長いスパンで考えると実はとてもシンプルなものなのかもしれません。


参考書籍


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