「出会い」って何?他者との出会いや別れの間に生まれる影響とは?

      2017/01/03

彫刻家の大黒貴之です。

記事の最後にいつも書いている
Alles Gute! (アレス・グーテ!)って
「なんやねん?」と気になりませんか?

実はこれ、ドイツ語で手紙の最後や人と別れるときに使う言葉なんですよ。

直訳すると、
アレスは「全て」
グーテが「良い」
ってなります。

辞書では「万福」とでてきますが、
「全てに良い巡り合わせがありますように」
という意味が込められているのだとぼくは解釈しています。

人は1人で生きていくことはできません。

必ず誰かに出会っていくものですし、
自分以外の知らない他者同士の連鎖によって
わたしたちが生きる世界は形成されているんですよね。

ぼくがこのブログで書くメッセージも知らない誰かの目に触れています。

今、この記事を読んでくださっている
あなたの貴重な時間を共有することができてとても嬉しく思っています。

今日は少しガッツリと出会いと別れについて書いてみましょうかね。

少し長い文章ですがお付き合いいただければ幸いです。

独我論。そして我と他者との「間」にあるもの

Photo via Unsplash via Visual hun

近代哲学に終止符を打ったオーストリアの大哲学者ヴィトゲンシュタインは
独我論という概念を導き出しました。

彼は「主体は世界に属するのでなく、それは世界の限界である」と言いました。

「世界が我を形成しているのではなくて、我が世界を形成しているのだ」
言い換えれば「世界は私のためにあるのだ」ともなります。

確かに、今あなたが見ているものや体験していることは、あなたにしか分からない感覚です。
歯が痛い。心が苦しい。天にも舞うほどハッピー。など
他者がどう感じているかは想像はできるでしょうけど、
どうしたって、我は他者に入れ替わることはできませんよね。

あなたとぼくには、この「」は本当に同じ色に見えているのかどうか
本当はわからないのです。

その考えを発展させると自分以外の人や物は、
ひょっとしたら自分と同じ人ではないのかもしれないとなってしまいます。

しかし、そう考えてしまうと他者の存在意味が無くなってしまうのもまた確かなことです。

社会は私や私以外の誰かが行動した「うねり」の連鎖で形成されています。

例えば、遠いドイツに住むアンナさんとスズキさんの間で起こった小さな出来事が
日本に住んでいるぼくに影響を及ぼしている可能性だってあるわけです。

同じように、私の行動も何かしらの形で他者へ影響を与えています。

つまり、我と他者との関係はどうしても切り離して考えることができないのです。

「私が他者を形成していて、他者は私を形成しているのではないか」というのがぼくの持論です。

禅の考え方でいうと「AはBであるが故にAであり、BはAであるが故にBである」
という思想と近いのかもしれません。

ただ我と他者が完全に合体して認識が完全に交じり合えることはできません。

スタートレックに登場する我と他者の認識が完璧に一致するボーグ

スタートレックというSF番組を学生の頃によく見ていたのですが、
その中にボーグという超集合体が登場します。

ボーグは、マザーボーグという中心体が存在し、
全てのボーグはそのマザーボーグとつながっています。

ですので、ボーグたちは自身のことを「我」ではなく、
「我々」という言葉で表現しています。

ボーグは出会う生命体を、まるで軍隊アリのように
次々と飲み込んでいき、ボーグの中に取り込んでいきます。

ピカード艦長が指揮するエンタープライズ号も、
ボーグと遭遇し幾多の危機に追い込まれてしまいます。

ボーグたちの主張によると、ボーグになっているほうが楽だと言うのです。

「人間のように、いちいち言葉にして自分の認識を相手に伝えてどうするんだ」

「しかも、それが相手にちゃんと通じているのかどうかもわからないんだぜ」

「マザーボーグを中心として全ての認識がつながっていれば
そんな面倒くさいくて無意味なことから脱却できるんだぞ」と。

だから「我々と同化しろ」と。

しかし、同じような幸福を味わるということは
同じような不幸を認識することにもなるわけです。

エンタープライズ号の乗船するクルーは当然それに反発し「我」を守ろうとします。

周囲と同じように同化し振る舞うことは楽チンなようで実は辛いものなのです。

つまり、私と他者は、完璧につながらないほうがいいのです。

にもかかわらず、なぜ人は他者との出会いを求め、
他者とつながっていたいと思うのでしょうか。

縁とは人に何かを与える影響のようなもの

あなたとぼくがリアル世界やヴァーチャル世界で出会うことによって
生じた「この時間」にも何かしらの影響が生じているんです。

その影響に大小は関係ありません。

「出会うこと」とは「我と他者が時間を共有すること」です。

その時間に発生する「何か」が世界を形成しているのだとぼくは思うのです。

この「何か」は、我と他者との関係性の上に発生しているものですから
先ほどのボーグのように完全に合体し同じ認識になると生まれないんですよ。

私事ですが、ぼくはドイツに2回渡り、約6年半ほど滞在していました。

その期間、現地で出会ったドイツやイラン、イラク、アフガニスタン
カメルーン、アメリカ、そして日本の人たちも含めて
多くの人たちとの出会いがありました。

ぼくが滞在していた間に、どうして彼女/彼らと出会ったんだろう。
なぜ、その他の多くの人には出会うことはなかったのだろう。と
考えることがよくあるんですよ。

彼女/彼らと会っているときは、それが日常だったので、
それほど意識はしていなかったのですが、
ドイツから離れて時間が経ってみると
その出会いには縁としか思えないような感覚を覚えています。

中東やアフリカからドイツへやってきた人たちの多くは
難民として入国していました。
自分たちの国の内政が安定していればドイツにやってくることはなかったでしょう。
しかもラーテノウという人口3万人ほどの小さな街でぼくと出会っているわけです。

これを書いていることも、彼女/彼らとの出会いがなければ書けないです。

ぼくは「縁が人との出会いなのではなくて、人との出会いが縁になる」のだと思うんですよ。

出会いや別れのインパクトによって生じた「何か」は
「我や他者に何かを与える影響」なんじゃないかって思うんですよね。

その影響の連鎖で形成されているのが「世界」じゃないかって。

この「影響」は、時間を超えるものでもあるんじゃないかな。

だって、何十年、何百年も過去に書かれた本や制作された美術作品などから
影響を受けることがあることもあるでしょ。

それは、その時代に生きた人が制作したものを通じて
コミュニケーションした我と他者の間に発生した影響なんですよ。

全てが良い廻り合わせになりますように

「わたし」は「あなた」から影響を受け、
「あなた」もまた「わたし」から影響を受けているんじゃないかな。

そしてそれがまた、それぞれの日常の行動につながっていくんじゃないかと。

世界はこの影響の連鎖によって形成されている。

人の出会いから生じた「影響による連鎖の時間」は、
やがて時代になり、時代が次世代という次の世界を形成していく切っ掛けになる。

出会いの中で、良い出会いもあれば良くない出会いもあるでしょう。

でも、出会いによって「影響」が生じるのであれば、
別れによっても「影響」は生じる。

その渦中にいるとは分からなくても
時間が経ってから当時のことを振り返ってみると
「あ~、だからあの時あの人と出会ったんだ」と思えることが多々あるもの。

人との出会い、そして別れは、「私」を発見することのきっかけであり、
私によって他者が何かを発見するきっかけにもなるんだと思うんです。

人生は出会いと別れの連続であり、そのときに生まれるインパクトは実は強力なもの。

私は私の外に出ることはできないし、あなたはあなたの外に出ることはできません。

あるのは「あなたと私の間に生じる互い影響力」なのです。

出会いや別れに生じた影響の連鎖が世界を形成しているのだとすれば、
全ては無意味なんかじゃないんですよね。

Alles Gute! (アレス・グーテ!)

「あなたにとって全てが良い廻り合わせになりますように」

そして

メリークリスマス!

参考記事:なぜ人は出会い別れるの?偶然?必然?出会いと別れは「引力」
参考記事:あの人に魅力を感じるのはどうしてだろう?心の振動ありますか
参考記事:自分探し?そんなものはないよ。自分に問い実践することと他者と関わること

Author by gross-schwarz

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