縁起が良いと言うけれど「縁起」ってなんだろうな。私と他者との間

   

彫刻家の大黒貴之です。

「一富士、二鷹、三なすび」

良い初夢を見ましたか?

えっ?富士山の夢を見たって?

新年早々、縁起が良いですなぁ☆

そうそう、この「縁起が良い」で思い出しました。

縁起が良いとは原因と結果の関係性を表しているのですよね。

ぼくがつくった原因はいつかどこかで結果になって現れると。

「仮に生きている間に結果が出なくても
それは子や孫、その先の子孫に反映されるんですよ。
だから今の行いを大切にしなさい」

と以前、あるお坊さんに聞きました。

この「縁起」

もう少し深く考えるともう一つの意味合いが出てきます。

それが今回のお話です。

Photo credit: Gramicidin via VisualHunt.com / CC BY-SA

あなたもわたしも、他の人やモノとの関係で成り立っている

この「縁起」というのは
「無我」「無常」「縁起」「空」という
仏教の根底に流れる思想の1つになっています。

例えば「無我」について
「我を持つことは煩悩につながるんだよ。
そのことによって苦しまないといけないんだよ」
とお釈迦様な言いました。

極論ですが、煩悩を消そうとすれば
他者との関係性を絶つことが一番手っ取り早いわけです。
ほとんどの煩悩なんて、他者との比較から生ずるものですからね。

しかし、それを突き詰めていくと
禅僧の達磨大使のように座禅を組みながら
足が解けてしまい、よだれがダラリと垂れる
状態まで到達することになってしまいます。

世の中全ての人がそのような状態になってしまうことは
ありえませんし、なってしまっては困ります。

ですので、
「私は世界との関係性で形成されている」
と考えてみましょう。

ここでいう世界とは、自分の周辺いる家族、
友人、仕事仲間、その他の知らない人たちなどの他者や
モノ・コトなど全てを指しています。

私というのは、この世界との関係の中で
成り立っていると考えれば、我も他者もつながり
それぞれが必要なものであると捉えることができましょう。

ソシュールの記号論。差異ってなんだ?

少し話が変わりますが、スイスにソシュールという言語学者がいました。

彼は「世の中に存在するモノや言葉は、
それを認識している人が区切ることによって存在しているのだ」と言いました。

例えばあなたの目の前に蝶々が飛んでいるとしましょう。

そして「あっ、とてもきれいな蝶々だね!」と言います。

しかし、隣にいる太郎君はそれを
「いやいや、あれば蛾だよ」というかも知れません。

ちなみにドイツ人には「蝶々」と「蛾」の区別はありません。

ですので、近くにいるアンケさんは
あれは「Schmetterling<シュメッターリング>(蝶々・蛾)よ」
と言います。

他の例を挙げれば
あなたが朝起きて「今日はやけに寒いな」と言いながら
カーテンをパット開けるとそこは一面が銀世界。

そして、牡丹雪がシンシンと降り積もっています。

「おっ、今朝は牡丹雪がシンシンと降る銀世界かぁ」と。

しかし、その雪にもいろいろな種類の雪があるわけです。

粉雪、牡丹雪、綿雪、乾雪、べた雪・・・

日本でも関西と北海道の人が識別する雪の種類は違うでしょう。

さらに雪国住むエスキモーの人たちは50種類以上の雪を区別するそうです。

また「犬」というのは「狼」や「キツネ」などと区別するために
「犬」という概念が出てきたのだとソシュールは考えました。

つまり「〇」に丸という言葉をつけたのでなくて
「△」とか「□」という形と区別するために「丸」という言葉を
「〇」に付けたということなのです。

このように「存在」というものは
世界にある「他の存在(モノやコト)」
との区別によってある
のだということがわかりますね。

このことを「差異」といいます。

縁起の話に戻すと

で、この差異は「縁起」にも
つながっているんじゃないかとぼくは考えるのです。

縁起というのは、原因と因果の関係のことですよね。

同時に「人と人との関係性」でもあるとも言えます。

お釈迦様は菩提樹の下で
「万物は全てつながっているが故に
それぞれには生きる意味があるのだ」
と悟ったのだ言われています。

つまり、すべての生きとし生けるモノは
相互関係の連鎖によって成り立っていると。

植物連鎖とか自然の体系というのもその1つ。

先ほどのソシュールの話ともリンクするのですが、
例えば、この世にあなたがたった一人でいるとしましょう。

しかし、「ぼく」の存在を認識する人が誰もいなければ
「ぼく」は「ぼく」として存在することはないのです。

「けど、周りには、水や太陽、石や土があるじゃないか!」
と思うかもしれません。

しかし、それは他の第三者が日本語という言葉を使って
ぼくと周囲との区切りをつけているからなのです。

ぼくの前に、ひょこっとカメレオンが現れました。

しかしカメレオンには、周囲にある石も木も土も
あなたもぼくもどれも同じ「物体」にしか見えないでしょう。

つまり、人間社会において、あなたもぼくも
周囲の人やモノなどの存在があるからこそ
存在できているわけです。

偶数があるが故に奇数がある。

負けがあるが故に勝ちがある。

夫がいるが故に妻がいる。

上司がいるが故に部下がいる。

悪役がいるが故にヒーローがいる。

「AはBであるが故にAあり、BはAであるが故にBである」

もう一つ大事なこと。

例えば、あなたが恋人と一緒に過ごす中で、
あなたの言動や心に描いているイメージは
恋人と交換、もしくは共有されているわけです。

そして、その一部は恋人の中にも形成されることになり
そのまた逆も同じで恋人の言動やイメージの一部は
あなたの中でも形成されていくのです。

したがって、あなたもぼくもそしてこの世の全ての存在上において
単体で存在しているのではなく相互関係の間にいることがわかります。

「縁起」とは
人と人、もしくはモノとの間にある関係性のこと」
だと言えましょう。

Alles Gute! (アレス・グーテ!)

Author by gross-schwarz

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