ぼくの作品の根幹にあるテーマ -アンビバレントの共在-

      2016/06/01

その人が「存在する」とはどうゆうことなのだろうか。

確か小学2年生くらいの時に
町内のお寺にあった手塚治虫のブラックジャックを読み
えらく感動した記憶があります。

主人公が医者で
生や死や人生にまつわる話が多いこの漫画から
学ぶものは、僕にはたくさんありました。
もう何度読み直しかわかりません。

今振り返ると、このころから
生や死、そして人生のことについてすでに意識をし始めていたのかもしれません。

ぼくが30歳の時に親父が急逝するのですが、
その後、特にそのことについて思索するようになりました。

そして、存在するというのはどういうことなのかを
この時期に深く考えました。

生と死や存在などとても深いテーマですが、
自分が生きてきたプロセスの中で
起こったことを踏まえながら考察してみます。

目の前で起こった人がいなくなることや死の出来事は
今、彫刻家として生きている自分を形成した
キーワードになっていると考えるからです。

少し長い文章になりますが、
最後までお付き合いいただければ幸いです。

新宿駅に立つ僕の存在

何度か、新宿駅の改札口付近で人と待ち合わせをしたことがあります。

一分間に一体どれだけの人たちが、ぼくの前を通過しただろう。

あれだけの人がいるにもかかわらず
自分は彼らの存在を感じているのかというとそうではなく
動く物体がただただ通過しているような感覚になるのを覚えました。

その刹那、僕の眼の前に登場する友人。
そこで初めてぼくにとって、存在を意識する人が現れます。

当然、僕の眼の前を通過していた人たちも、
ぼくの存在など気づいていることはありません。

ぼくも彼らも人でありながら、そこに存在していないのです。

両親の離婚

15歳の時、両親の離婚で家族がバラバラになりました。

「絞り」という着物の下生地を縫う内職をしていた祖母が
離婚をテーマにした昼のワイドショーを見ながら
「たかゆきのお父さんとお母さんも離婚したらどうする?」
と冗談交じりに幼少のぼくに聞いていたのを憶えています。

そんなことは、テレビの中でだけで起こることだろうと
当時のぼくは当然のように思っていました。

年が明けた天気の良いある日、
母と妹、弟がぼくの前からいなくなって
再び会えたのは、3年後でした。

原付免許を取得して、
「どこに行こうか。そうだ、お母さんと姉弟のところに行こう」と
思い立ったのが動機でした。

周囲はすでに両親の離婚のことは知っていたでしょう。
しかし、その事実を自分から外に向かって話すことは一切ありませんでした。

とてもコンプレックスを感じていましたし、
トラウマになっていたのかもしれません。

その3年間の時間と空間はとても奇妙な感覚でした。

家族は存在しているのに、目の前に彼らがいないということ。

おばあちゃんの死

21歳の時、おばあちゃんが亡くなりました。

孫のことを第一に考える彼女は、ぼくにとって優しいおばあちゃんでした。

日に日に弱っていく彼女の姿は一目瞭然でした。

入院した当初は、「早く家に帰ってまた"絞り"をするんや」と
強気に言っていましたが、何度か入退院を繰り返し、
最後の入院の時は
「もう、おばあちゃん、家には帰れへんで」
ぼくに小さな声で呟いた姿が忘れられません。

それから数日が経った夏のある日、
雷と土砂降りの夕立の中、父親の携帯が鳴りました。

病院からでした。

それから、3日後、彼女は火葬場で白骨になって出てきました。

手渡された長い箸で、彼女の骨の一部を
骨壺の中に運び込みました。
手が小刻みに震えているのが、よくわかりました。

彼女はもう彼女ではなく、ただの物質になっていました。

「人は誰もが最後はこうなるんやで」

彼女の最後のメッセージのように感じました。

ドイツと日本の間に存在した人たち

大学を出た後、帰郷し、周囲を眺めるとぼくの同級生たちは
当然のように就職や結婚をしていました。
大学の盟友たちはいなくなり
当時付き合っていた彼女にも劇的に振られ
何か心に穴が開いたような感じでした。

24歳の時、ドイツに渡りました。
そんな環境にいてもたってもいられなくなったのと
もう一つ、
「この先、作家を続けていけるかどうか」
現代アートの本場であるドイツのベルリンで
自分の実力と運を試してみたかったのです。

1年3か月の滞在でしたが、日本に戻ってきてから
ベルリンでお世話になったドイツ人や日本人たちのことは
それからもずっと自分の頭(心)の中にありました。

彼らの存在があったから、
「いつかまたドイツにいって作品を発表をしたい」という闘志が
日本での作品を創り続けていく
大きなモチベーションの一つになっていました。

日本で作家活動をしているとき
「いい趣味ですね」
「はやく就職したらどうや?」
「才能ないって気づかないのですか?」
他人から、そのような言葉が耳に入るたびに、
そうじゃないんだ!という憤りと
これまでお世話になった人たちや
応援してくれている人の存在が
何度も頭の中に浮かんできて自分に激を飛ばしてくれるのです。

そして「そうだ、ぼくは彫刻家なんだと」

父親の急逝を機に思索した生と死のこと

30歳の時、父親がくも膜下出血で急死をしました。

ぼくが大人になってから、彼とは衝突ばかりしていました。

けれどもその大切な人が、ある日突然いなくなったのです。

当時、大阪に住んでいたぼくは、
その知らせを聞いてすぐに実家に飛んで帰りました。

実家に到着すると、
すでに多くの親戚や近所の人たちが集まっていました。

異様な空気が流れ、そして混沌とした実家に到着し
早々、葬儀屋の人に面会させられて、

「祭壇はどちらになされますか?」

周囲には、知らない葬儀単語がたくさん飛び交っていました。

「葬式の進行はどうするんや」
そう親戚のおじが聞いてきます。

それまで、実家での近所付き合いは
ほとんどなかったので、
誰に何を聴いたらいいのかさえままならない状態でした。

嵐のような三日間が過ぎました。

誰の葬儀だったのかさえよくわからないような感覚でした。

そして、誰もいなくなった母屋に一人ポツンと残されました。

つい3日前まで父親が住んでいたそのままの光景が目の前に広がっていました。

突然、いろんなことが不安になったし、
どうしていいのかもわかりませんでした。

「先が真っ暗になるという状態はこういうことなんだ」
そのことはよく実感できました。

美術のことさえも、どうでもよくなっていました。

その中で、ぼくがよく考えたことは、
いなくなった父親は
一体どこへ行ってしまったのだろうということでした。

父親が倒れていたのは、裏の田んぼの畔でした。

当日の朝、その田んぼへ向かう途中、
何人かの人たちに会って彼は話をしていたと聞きました。

その人が突然いなくなったのです。

人なんていつでも死ぬんだなと強くそう思いました。

火葬場で見た祖母と父親の骨

3日間、仏壇の前で横になっていた彼は
火葬場に運ばれました。

霊柩車に棺桶が乗せられ
出棺の挨拶を喪主のぼくが話すのですが
なんて言ったか記憶にはほとんどありません。

何とも言えない独特な空気が立ち込める
火葬室で彼との最後の面会になりました。
あの場所は、まるであの世へいく入り口のようです。

涙で前が良く見えないまま
最後に触った彼の頬っぺたの冷たさと硬さ。

死人の肌から感じるのは例えようの無い冷たい温感と触感です。

彼の遺体を焼くため窯の中に棺桶が入れられ
「火を入れるスイッチを押してください」
と火葬場の人がぼくに告げます。

押さなければならないとわかっている
そのボタンを押す刹那に強く感じた臆病さ、恐怖。

あの丸くて赤いボタンの映像とボタンを押した指先の感覚。

がっしりと閉められた分厚い扉の向こうで
「ボオゥ!」と着火された火の音。

それらが、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。

それから数時間後、祖母の時と同じく彼は白骨になって出てきました。
やっぱり、彼は白い物質に変わっていました。

「病気とかで異常があった部分の骨は残らへんのや」
近くで誰か言いました。

実際、一部の骨は白い粉だけになっていました。

喪主であるぼくが彼の頭蓋骨を用意された木槌で割りました。
おばあちゃんの時は、父親が同じように彼女の頭蓋骨を割りました。

かろうじて人の形として残っていた白骨は
木槌で粉砕したことによって、完全になくなってしまいました。

巣立つ前に死んでしまった燕の雛のこと

父親がいなくなってから2年が過ぎようとしたころ
燕のツガイが母屋に巣を作りました。

久しぶりに自分の家に燕が巣をつくったのを見て
なんか嬉しくなり、親が子に餌を与える光景などを
よく眺めていました。

無事、雛をかえしたのですが、
長い梅雨のせいなのか、孵った雛が死んでしまいました。

「あぁ、もうすぐ巣たちだったのになぁ」
そう思った刹那、親鳥が巣にやってきて
死んだ雛を巣からすぐに落としたのです。

なんの戸惑いもなく機械的に巣にから3mほどある下の床に落としたのです。

腐敗して他の雛にばい菌が移らないよう、それは本能的な行動だったのでしょうか。

しかし、ただただ、それだけのことなんだと思いました。

それが自然の摂理なのかなとも思いました。

残念ながら、その年に孵った3匹の雛はすべて死んでしまいました。

ぼくはかわいそうになって、
母屋の裏に生えている柿の木の下に、その3匹の雛たちを埋めてあげました。

その人が「在る」のは自分の中に「居る」から

これらはぼくが経験したほんの一幕の出来事に過ぎません。

当時はよくわからない感覚や
よく考えることができない状態が続いた時期もありました。

でも、今となってはとても貴重な体験をしたと自覚しています。

それに1つはっきりわかったことがあります。

それは、ぼくの頭の中には、彼(女)らが「存在」しているということです。

物質としては完全になくなってしまった父親や祖母の存在と
物質として生きているけど、目の前にいない人たちの存在とは
なにが違うのだろうということに気づきました。

生物学的に生きていることと死んでいることは違いますが
存在するという意味で考えると、
実はそれらは同じことなんじゃないかと。

生は死であり、また死は生であると。

「存在する」とは、
目の前にいるからその人やモノが存在しているのではなく、
自分の中にその存在があることによって
初めて存在するのだと考えるようになりました。

自分がその人、或いはその物事を
意識することで初めてそれは存在するのだと。

だから、自分が死んでしまえば、存在なんてすべてなくなってしまう。

祖母や父親から家族や友人知人たち、
また家、仕事、あらゆる存在は消えてしまったのです。
同じようにぼくも死んでしまえば、ぼくの中に存在する人たちは
全ていなくなってしまいます。

けど、その存在は彼らのことを想う他の人の中にあるのです。

時代を超えても生きとし生けるもの全てが背負っている生と死。

しかし、この普遍的な生というテーマと死というテーマが
もし同じベクトルを持っているとすれば
世の中に相反する物事は、実は全て表裏一体性を
持つものなのかもしれないと考えるようになりました。

生と死、自然と物質社会、生成と消滅、東洋と西洋、内と外、明と暗…

これらは、一言でいうと「ambivalent / アンビバレント(二律背反)」になるのでしょうか。

生と死が同じ意味で存在するのであれば、
それらの相反するものが共在することも考えられます。

その「アンビバレントの共在」によって、
そこから新しい概念が生まれるのはないかと考えます。

自身が経験してきた目前の死の出来事と
そこから思索した相反するものが同じベクトルと持つというぼくの結論。

ぼくの作品の根幹にあるテーマになっています。

©takayuki daikoku renmen Ensemble / 連綿アンサンブル

renmen Ensemble (Outdoor) / 連綿 アンサンブル (アウトドア)」
2015
size variable / サイズ 可変
Stahl, Farbe, Zeitungspapier, Polyesterseil, japanisches Papier, Lack /
鉄(耐候性塗装)・新聞紙・ポリエステルロープ・和紙・アクリル系塗料

Aufnahmetag 05.10.2015
撮影日 2015年10月5日

Photo:Takayuki Daikoku
courtesy of the artist and Semjon Contemporary

2012年2月20日の記事「存在することを考える」から加筆添削した文章です

Author by gross-schwarz

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