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彫刻家の大黒貴之(@takayuki_daikoku)です。

思春期の頃に誰もが一度は考えたことがある自問自答。

「私は何者なのか?」という人生の問い。

大学に入って、全国から集まってきた同世代の若者たちとの出会いやバカをした時間、そして同じ鍋を囲んで現代アートや表現、人生、恋愛についての議論。そのような時間が今になって大切だったのかなぁと思います。

2001年私が24歳の秋にドイツに行ったことは自身の人生の中で大きな転換点だったと感じています。その時に体験したことや人との出会いがその後の人生にもつながっているからです。ドイツという異国の経験は学生時代から自問自答してきた「私は何者なのか?」という問いへの大きな答えを導き出すプロセスにもなりました。


Photo credit: Mark Barry via VisualHunt.com / CC BY
南国のタヒチで描かれたゴーギャンの傑作、
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

他の文化や国の人たちとの出会いは、自分を客観的に観ることができるチャンス

「井の中の蛙大海を知らず」という有名な諺があります。「自分が慣れ親しんだ小さなコミュニティーから飛び出してそれまで知らなかったいろんな考え方や生き方、技術などに触れるとそれまでの自分の小ささに気づく」という解釈を自身はしています。

ベルリンは学生やアーティストが滞在し、また多くの観光者が訪れる大都市で世界中からやってくる人たちの坩堝(るつぼ)です。市内の電車に乗るとドイツ語、英語、中国語、韓国語、チェコ語などさまざまな言語が飛び交っているのが日常的です。まさに国際的な多様性文化がベルリンにはありました。

そして、私のような日本人にとって他国の人、風景、建築、食べ物、空気、匂い・・・全てが初めて体験するものばかりでした。それは学生の頃に経験したものとは全く違うものでした。つまり異国であり、そして、全てが自身にとって「異質」な体験でした。そして自分が「外国人」になるという体験でした。

そこで会う人たちとの会話。

「君はどこから来たんだ?」

「黒い髪って素敵だよね」

「ドイツ語話せるの?」

「何で日本には3種類のアルファベットがあるんだ?」

「日本までは何時間くらいかかるんだ?」

「日本の温泉には猿が入っているんだろ?」

それまで当たり前だと思っていたことが異国で住むとそれが当たり前でなかったりすることは多々あります。そこで先のような問いに対して、考え始めるようになり、そして初めて気づくのです。「あっ、自分は日本人なんだ」と。ドイツという異国の地で「私は何者なのか」という問いに対して強烈に意識する、否、意識せざるを得なかったのです。

外国で酸いも甘いも体験できることはラッキーなことだ

いろいろな国々からやってきている人たちと知り合うことができたのはとても良い経験でした。

2011年から滞在していたブランデンブルグ州のラーテノウという街では難民の人たちの専用住居があります。彼女/彼らはまずにドイツに到着してドイツ政府から「あなたここの街に住んでください」と指示を受けて振り分けられていくのですが、その1つの街がラーテノウでした。

そこには、イラン、イラク、アフガニスタン、シリアなどの中東地域やナイジェリアなどのアフリカ諸国からやってきた人たちが住んでいます。とても小さな街でしたから、街中では難民の人たちをよく見かけましたし、語学学校ので知り合った生徒と出会うと「やぁ、元気かい?仕事の調子はどうだ?」なんて道端でよく話をしたものです。もちろん、彼らとの共通言語であるドイツ語でです。

ある日、妻がドイツ人の友人に、「ゆかりのおにぎり」をつくって持っていくと珍しがってたいそう喜ばれたりもしましたし、またレシピも教えたりしていました。自分がドイツという異国で異質だと感じてたようにその国に住む人たちにとっても私たちは異質な存在だったと気づきました。

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「私は何者なのか?」のヒントは異質な文化や他者との交流から生まれる

「私は何者なのだろう?」と考えることは誰でもあることですし、自我を形成していくうえでそれは1つの通過点なのだと思います。

しかし自分一人で部屋の中に座り込んで考えていてもきっと答えは出てこないでしょう。多くの他者との出会いや彼女/彼らから受ける何かしら刺激によって自分を見つめ、考えることができるでしょう。

また、そのプロセスの中で「異質なもの」に触れる機会が多いことはそれだけ多くの違った風景を観れるということでもあるのはないでしょうか。異質なものに対しては一種の不安感が伴いますが、それまで遭遇したことのない体験であるからこそ、それを機に新しい概念が自分の中に入ってくるのだと思います。

そして、あなたがそれまで見ていた風景とはまた少し違った風景が見え始めるでしょう。そういう意味において、私の2回に渡る約6年半のドイツ経験は、今の自分(彫刻家としても)を形成している非常に大切な要素が詰め込まれた時間だったと実感しています。

古から人々が人生の中で考え続けてきた1つの問い、

「私は何者なのか?」

私がその答えの1つを導き出すとするのなら。

外国への旅行や滞在、他者との出会いなど、それまでの自分の経験にはない「異質なもの」に五感で触れる体験が「私は何者か」を強烈に意識する1つの方法なのだと思います。


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