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彫刻家の大黒貴之(@takayuki_daikoku)です。

アーティストに「運」というものは必要なのでしょうか?私が最初にベルリンに渡った理由は、自身がアーティストとしての「実力」と「運」があるかどうかを試したいと考えたからでした。世の中には運が良い人がいます。世間の人は「あの人が運がいい人だからとか運が悪かった」といいます。アーティストの仕事や活動を続けていく上でこの「運」というものは非常に大切だと考えています。

「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」という言葉がありますが、この「不思議な」というところに運が関わっているのかもしれません。この運というものは一体どういうものなのでしょうか。今回は「運」ついて考えてみます。


Photo by Bianca Ackermann on Unsplash

運は偶然なのだろうか、それとも必然なのだろうか

大学を卒業してから、アーティストを志す人はたくさんいますが、20年後も生き残っている人はめっきり少なくなります。何かを思い立って、実際に行動できる人は100人中1人で、その中で、5年10年と継続していける人はそこからさらに100人に1人になると言われます。つまり、どの道でも10年続けれる人は必然的に10000分の1という確率になります。

自身は、アートのことやどうすれば彫刻家になるのかということを愚直に考えて続けてきましたし、作品の定期的な発表をドイツや日本で行ってきました。それらはいろいろな偶然が重なって実現したことだと思いますが、外からやって来た「ラッキー」というものだけでなく、自分自身の内から生み出された「ラッキー」もあったのかもしれません。

運の正体:たたき上げ、磨き上げていく先にあるもの

ところで合気道という武道を2009年からしています。その稽古の中で「鍛錬」という言葉を耳にします。辞書には「金属を打ちきたえるように、修養・訓練を積んで心身・技能を立派にすること」とあります。2人の刀鍛冶が阿吽の呼吸で、ひたすら鉄を叩き続けることにより、少しずつ刀に姿を変化していくように、運というものは自分で練って鍛えていくものなのではないかと考えています。つまり運の正体とは「練り続けることによって生み出される何か」

では、その「練る」とはどのようなことなのでしょうか。私の周囲の会社経営をしている人や一人で仕事に取り組んでいる人たちは本当に「運」というものを大事にしています。そのような人たちは、人とのコミュニケーションを大事してしていますし、積極的に人と関わる気質があります。そして、いつも事業や新しいことにチャレンジしています。

また、アーティストもそうですが、経営者や一人で事業をしている人たちは最後は自分自身でその決断をしないといけません。その決断が合っているのか、そうでないのかは誰にもわかりません。ですので、お店や仕事場に神棚を祀っていたり、初詣やお墓参りを定期的に行う人が多いように思います。きっと、そのとき自身に語りかけ、そして自身を奮い立たせているのでしょう。

また「神は細部に宿る」という言葉があるように、人とのお付き合いや仕事の細部を大事にしています。

日本の商人たちの古からの名言:運・根・鈍とは何か

運、根、鈍という言葉を知ることがありました。

「運」は一つのことを直向きにやり通す「根気」が無ければ引き寄せることができないし、その根気は、ある程度の「鈍感さ」が必要になってくるという意味です。

この話をある人に話をしたら、昔からある商い言葉なのだと教えてくれました。古の諺や言葉は、数多くの経験則から得られたデータの蓄積です。古今東西、生活が豊かになったり、利便性、見る風景は変遷しているものの人の心理や哲理はほとんど変化していません。「運」の全ては外から「はい、どうぞ」とやってくるものではありません。平素の小さな事実の積み重ねの集積が「運」というプラスαのエネルギーへ変換されていくのです。



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