【DAIKOKUの根底にあるもの】これまでの私的事件、作品とリンクする関係性

以下の文章は、僕が彫刻家を志してからドイツを経て、
現在2021年に至るまでに起こった私的事件、
作品の根底にある大きな基盤のような事柄
テキストに起こしたものです。

作品をつくるうえで意識をしていることであり、
また或いは、癖のような形で作品の表面上に
出てきていることだと感じています。

近年、僕が気づいた「間-振動(かん-しんどう)」
という観念にどのようにしてたどり着いたか?

そのプロセスを記録したものでもあります。

少し長い文章となりますが、
僕の作品のバックグラウンドにあるものを
知っていただけば幸いに存じます。

また、それを知ることによって、
また違った角度から僕の作品を
観ていただけるきっかけにもなれば思います。


【序】両義の間にある揺らぎ「間-振動」-自然 時間 言葉 数字 縁起 生命-

私は両義の間に発生する揺らぎのようなものを意識する。

自然と人間社会、二次元と三次元、静と動、
線と地などの間にある揺らぎ。

自然、文化、人の心理などに見られる、
一見すると違う事柄のような二項の間には
いつも何かが発生し、
生命のごとく振動しているように感じる。

その揺らぎは「関係性」或いは「出来事」
と言えるのかもしれない。

この世界は、それらの関係の連続性で成り立っているのだと感じている。

2002年のベルリン・ドイツ国会議事堂屋上からの眺め

なぜドイツだったのか? 渡独:2001-2003:2011-2016

ドイツには2度に渡って約6 年半滞在をした。

現地の環境、文化、デザインなどが
近江の自然の影響を受けた有機的な彫刻フォルムに上書きされ、
私の作品は、論理的、数学的な美を取り入れた表現言語へ昇華された。

「なぜ、ドイツだったのですか?」とよく問われる。

一度目の渡独は「アートの伝統的な歴史があるヨーロッパで
作家としての自分の実力と運を試してみたかったから」

それに戦後、東西に分裂して、そして再統一された
ドイツの歴史背景にもとても興味があった。

壁以前と以降の狭間にあるベルリンという土地に自分の眼差しを向けてみたかった。

二度目の渡独は、父親の急逝を目の当たりにしたことが大きく影響を及ぼしている。

初めてのヨーロッパとベルリンでの滞在:2001-2003 

2001年晩秋、私は初めてヨーロッパに行き、
ベルリンのテーゲル空港に降り立った。

ヨーロッパがEUという大連合に向かって
足並みを揃えていた時代。

滞在を始めた10月末は、まだドイツマルクを使用していた。

ホームステイ先から語学学校に向かう初めての朝、
ベルリンの中心地に位置するフリードリヒ駅周辺は
盛んに工事が行われていた。
ちょうど、ドイツはウィンタータイムに入った日だった。
空気は澄んでいたが、とても風が冷たかった。
日本では味わったことのない冷たさを今も肌はよく覚えている。

年が明けた2002年、銀行でお金を引き出した時、ユーロ紙幣が出てきた。
歴史の狭間に自分がいるような気がした。

街にはまだそれほど人は多くなかった。
日本人も日本の商品を取り扱う店舗も多くはなく、
ベルリンはまだ混沌としていた。

街の人々や建築、食べ物、アート、デザイン、
空気、天候、ドイツ語など、五感で感じる光景全てが
私にとって異質なものだった。

ベルリン市が管轄している
「ビルトハウアー・ベルクス・シュタット/彫刻家工房棟」
で出会ったドイツ人作家からドローイングや
彫刻のことなど本当に多くのことを学んだ。

1年3か月の滞在だったが、この時間は私の作品が形成されていく
最初のベースになったように感じている。

今振り返るとこの時の一歩は、
自分にとってかけがえのない大きな一歩だった。

ベルリンがなければ、作家としての今の自分はない。

ドローイングと彫刻

ドローイングは日本語で素描と翻訳され、
ドイツ語ではツァイヒヌング、
フランス語ではデッサンとなる。

2002年にベルリンで知り合ったドイツ人作家に
「君は彫刻家なんだから、ドローイングができたほうがいい。
ヨーロッパでは芸術家がドローイングを描くことは
伝統的なことなのだから」と言われた。

それがドローイングを描き始めるきっかけであった。

私のドローイングは、作品のための図面のようなものではなく、
作品が姿を現すずっと以前にある「前兆」
或いは「予兆」のようなものだと考えている。

あるドイツ人ギャラリストは、私のドローイングを
「作品の本質的特徴」だと論じている。

そしてもう1つの特徴は、ドローイングによって自分が知らない
未知の領域のイメージを発見できる手掛かりになるということである。
特にスランプに陥った時には、ドローイングを
徹底的にやったほうがいいと教えてくれた。

ドローイングはシンプルが故に作家の実力が見事に現れるという。

サルバドール・ダリはドローイングの魅力を次のように表現している 。

「Drawing is the honesty of the art. There is
no possibility of cheating. It is either good or bad.」
(ドローイングは美術における良心だ。
なぜならば、一切のごまかしがきかない。いいか悪いかのどちらかでしかない。 )

今、もしくは過去に描いたドローイングと
そのドローイングが下となって30年後に具現化した彫刻が面前に向かって
展示されることがあればどれだけ感慨深いことだろうか。

今、この瞬間に捉えた作品の本質的特徴である
ドローイングと彫刻、そして鑑賞者の間には、
時間を超えた揺らぎのようなものが発生するのではないかと予想している。

私たちは「概念上のリアル世界」上で生きている。

地球上の生物で、人間のみが持っている概念は言葉と数字である。

言葉と数字によって、人類は飛躍的に文明を発展させてきた。
またそれらは人間の頭の中に
リアルな概念を組み入れることに成功し、
多くの人を束ねている。

法律、貨幣、宗教、国家、ITなどは
全て人間が考え出した概念上の世界であり、
そのヴァーチャルリアリティの下、
私たちは生活を営んでいる。

人は共通する概念上で対象を捉え、行動をする。

言葉は抽象概念である。

日本語にある概念は、ドイツ語にないことがあるし、
またその逆の場合もある。

ただ、数字は世界中の誰が見てもほぼ同じ概念を誘発できるように思う。
だから国際貿易や世界経済、また国際会計というものが成立している。

数学の世界でいう美しいとは、対象のシンメトリー性なのだという。

それは秩序であり、神秘でもある。

パーシャル・スクリプト(不完全な文字体系)とは何か

人類が初めて使用した文字は、
一定の面積から収穫できる麦に関しての収穫量の計算と
その税率の表記だったという。

つまり、文学や物語という意味のある文字体系ではなかった。

学者はそのような表記のことを
パーシャル・スクリプト(不完全な文字体系)と名付けた。

私はドイツ滞在中にドイツ語を少し覚えることになった。
ある日、ドイツ人が書く筆記体のドイツ語が、
文字ではなく線の連続性のように見えたことがあった。

文字のようで文字でない。

しばらくすると「文字と線との間はどこにあるのだろうか」
という問いが浮かんできた。

線に近づくにつれて文字は、意味のある言葉のようで、
意味のないパーシャル・スクリプトに近づくのではないだろうかと考えた。

2018年にベルリンで発表した
「Folded Drawings /フォールド・ドローイング」を観た
ドイツ人の歴史学者は、「Palimpsest/パリンプセスト
(書かれた文字等を消し、別の内容を上書きした羊皮紙の写本)」を
彷彿させると言い、また違うフォールド・ドローイングを観た
イタリア人の詩人は、そこに「LOVE」と描かれていると言った。

人類に残された最後の砦とは何だろうか?0と1の関係性

コンピューターが理解できる人間の言語は0と1であり、
YES or NOを示す二項型の概念である。

同時に0と1の間には途方もない距離感があり
「間」がある。

今後、コンピューター、特にAIが
ますます台頭してくると予想されている。
コンピューターは0と1のみを使って演算をし、解を導く。
そう遠くない将来、その演算能力に人間が
束になってかかっても太刀打ちできなくなる
「特異点/シンギュラリティ」に到達するという。

ただ、人間には「心」という目に見えない概念がある。

それは0と1の間にある揺らぎのようなものなのかもしれない。
その揺らぎは1つの解ではなく、多様な解が導き出される
哲学や芸術、また人生の妙味の中にあるのだろう。

コンピューターや人工知能と付き合っていく未来では、
その部分が人間に残された最後の砦になるのかもしれない。

それ以上割り切れない自立した数字:Prime Number/素数 

1 と自分自身以外に正の約数を持たない自然数で、
1 でない数を「素数」という。

その数字に強さと自立性を感じる。

この素数は私たちの生活のなかで、
情報の暗号化というITを活用する上で
非常に重要な役割を担っているという。

例えば、素数同士が規則正しく並ぶことによって、
そこから生まれる諷喩にフォーカスし、
その関係性の間に発生する揺れを具現化してみたいと考えている。

日本建築から見える日本の曖昧さとその連続性による文化

私の生まれ育った家屋は、
祖父が50年前に大工の棟梁と一緒に建てたものである。

その中には玄関や縁側という空間が存在する。

また、この家屋には「ドア」は無く、全て「引き戸」で構成されている。

日本文化に見られる曖昧性は、特筆すべき一つの概念だと考える。

日本人は古来より他国の文化を取り入れて、
自国の文化に合うように巧みな編集を行ってきた。

八百万の神々、神仏一合、七福神、
漢字からひらがなとカナ文字への変化、
さらにそれらの文字を使用した言語体系、
卑近な例で言えば、たらこスパゲッティ、
ライスバーガー、カレーうどんなどが挙げられる。

それらは日本の曖昧性がなせる業ではないだろうかと推測する。

伝統的な日本建築は、欧米のような壁や
ドアで仕切られた空間はなく、
襖や障子、欄間、屏風などの
仕切り機能を持つツールによって形成される。

それらを開放すると大広間になり、
また仕切ることや閉めることで
空間を閉鎖することができる。

つまり曖昧な空間の連続性によって
日本建築は成り立っているといえる。

また玄関や縁側などは、内でも外でもない空間である。

周辺を眺めれば、彼岸と此岸の間を表現した能舞台や
神社の参道などからも、
あちら側とこちら側のどちらでもない領域を感じることができる。

曖昧さには一長一短があるのは確かなことだが、
それが日本の歴史や文化の一角を形成してきたことは否めないと考える。

ドイツブランデンブルグ州ラーテノウ市の街中

ドイツ・ブランデンブルグ州ラーテノウ市、約5年半の滞在:2011-2016 

2011年4月からドイツ、ブランデンブルグ州ラーテノウ市という
人口約3万人の小さな街に5年4ヵ月滞在した。

ラーテノウは、1990年までDDR(ドイツ民主共和国)と呼ばれ、
旧ソ連の影響下にあった街である。

レンズの生産地としても有名な街で、
戦前はドイツの80%以上のレンズ関連の生産がなされていた。

レンズは望遠鏡や顕微鏡などに使用される。
当然、軍が持つ飛行機や戦車、銃などのスコープにも活用された。
そのためラーテノウは連合軍に徹底的に叩かれ、戦中は街の大半が破壊された。

私が居住していた部屋に面している
バーンホーフシュトラーセ/駅前通りの道は、
平素、とても静かな通りである。

同じ道沿いにドイツ人たちの住居となっている
赤いレンガ造りのモダンな建物がある。
ベルリンの壁が崩壊する以前は、
旧ソ連軍の宿舎として使用されていた。
その道では駐在していた軍の訓練が日常的に行われており、
市民は立ち入り禁止になっていたという。

ラーテノウはドイツ人だけなく、
ベトナム人、トルコ人、それに中東やアフリカからやってきた
多くの難民が生活をしていた。
2011年の時点で私が知っている限りでは、
この街に住む日本人は3人だけだった。

2012年の夏からフリーザックという
人口2500人ほどの市の街外れにアトリエを持てるようになった。

フリーザック市が管轄している環境課の作業員たちが駐在する
事務所兼倉庫内にある納屋の一角だった。

ラーテノウから車で片道30キロの道程を毎日のように通った。
その時間は作家として作品を生み出していくのに
非常に大切な期間だったと感じている。

外国人として異文化の中で生活することによって、
母国のことや自身のことを改めて深く問うことができた。

1300年代に発足、DDR時代を通過して、
今日に至るラーテノウは、2001年のベルリンで体感したのと同様に
私にとって全てが未知で異質な世界だった。

彼らにとっても私は異質な存在であったと思う。
がゆえに、街の住民と私たちはリンクしていたのかもしれない。

フィボナッチ比率から見える自然界の秩序と神秘

私の目に映る自然の風景は、
ほとんど直線がなく曲線で成り立っているようだ。

植物は有機的なフォルムを帯び、一見、無秩序のように見える。

しかし、フィボナッチ比率に当てはめると
美しい数字の配列に置き換えることができる。
オウム貝やひまわり、トンボの羽などの構造を
数学的に計算してみると大変美しく
規則正しい配列がなされていることが分かる。

数学の法則は私たち人間の概念上だけでなく、
このように自然界にも見つけることができる。

また、それらは美しさが内包された
人工物にも発見することができる。

人類の歴史に残る建築物である
パルテノン神殿の建築比率を先のフィボナッチ比率に当てはめると
自然界の植物と同じような比率、
つまり黄金比率で形成されていることがわかる。

典型的な彫刻の例で言うと、ミロのヴィーナスのフォルムは、
同じように黄金比率に当てはまる。
その比率を持つシンプルな形状の連続性が
自然界のフォルムや風景を成り立たせているのはないかと推測している。

これらの事象は単なる偶然の産物によるものなのだろうか。

フォールド・ドローイング:二次元と三次元の間 線の境界

2017年から制作をしているフォールド・ドローイング・シリーズ。
fold(折って)drawing(線を引く)という意味が含まれている。

初期の作品は、白と黒のみで構成していたが、
やがて赤、緑、青などの色も取り入れるようになった。

線というのは通常、鉛筆やペン、筆などで引くが、
このドローイングに描かれている線の一部は
「折る」ことによって描かれている。

その「行為」を行うことによって、
フラットな二次元であった紙は、
折った箇所を起点にわずかに盛り上がり三次元になる。
そして、折って描かれた線の周辺には、
鉛筆や筆で引かれた線の連続がある。

ただ、そのどちらも「線」であることには違いない。
平面と彫刻の境界、そして線の境界はどこにあるのだろうか。

Folded Drawings with dotsシリーズでは、
いくつもの穴を開けることによって空間が現れる。
重ねられたドットの空間に発生する光と影は、
彫刻とドローイングの間を行き来させる。


彫刻とはどういうものか?:彫刻の具現化 現実と行為

彫刻とはどういうものかと尋ねられれば、
「現実」と「行為」だと答えるだろう。
絵画は平面性の中にイリュージョン(幻想)を
形成させるのに対して、彫刻は三次元のものが
目前に厳然として「在る」ことが挙げられる。

現在では彫刻の名の通り「彫る」「刻む」という概念は
すでに突破されており、あらゆる表現技法や素材が使われている。

ドイツの彫刻家、ヨーゼフ・ボイスは、社会彫刻論を唱えて、
全ての人は芸術家であり、
彼らによって形成された社会の現前性こそが彫刻なのだと提唱した。

1つ言えることは、三次元の物体としての彫刻も社会彫刻としても、
人の「行為」によって「現実」が出現するものではないかと推測する。

それは行為によって押し出された「物体」や「足跡」のことであると考える。

フォールド・ドローイングは、
「折る」という行為を通過して生まれる。

鉛筆や絵の具も使用するが、紙に対して「折る」という
直接身体を使った行為をする。
折り目がわずかに突起することで平面性は失われ、
そこにはイリュージョンではなく「在る」という現実が発生することになる。

ちなみに日本では彫刻のことを
「立体」と呼ぶことがおうおうにしてあるが、
ドイツ語で立体は「三次元(drei Dimensionen)」を指すことであり、
「彫刻(Skulptur)」とは違う概念であるようだ。

人間とヒューマロイド:AIは心や感情を持つことができるのだろうか。

2020年に突入してから、
一般社会におけるAIの浸透は
ますます拡大していくと考えられている。
少子高齢化に入っている日本だが、
労働力としてAIや外国人労働者の力が必要になってくる
との声が盛んに聞かれる。

AIに人間の仕事が奪われると言われているが、
人の心に携わる仕事や1つの解を導き出せない
哲学や芸術分野などの仕事はきっとなくなりはしないと思う。

一方で、AIは鉄腕アトムやドラえもんのように私たちが求めていた
人間を助ける理想の創造物でもあった。

AIには人の心を持つことができるのだろうか。
心は目に見えないし、どこにあるのかわからない。
頭を開いても、心臓を開いても出てこない。

スタートレックで、データ少佐という人工知能を持った
人間型ロボットが登場するが、
彼は非合理的な人の感情や心に興味を持ち、
それを追求する様子が描かれている。

データ少佐のようなヒューマロイドが登場するのは
きっとまだまだ先だが、人の会話を理解し、
コミュニケーションが取れるロボットは
それほど遠くない将来には広まっているだろう。

その時、人はロボットに感情移入するのだろうか?
という問いにとても興味を覚える。

心を持つ我と心を持たないロボットとの間には、
どのような揺らぎが発生するのだろうか。

本質のコネクション-01

私にとっての偉大な彫刻家:ブルジョワ、ヘス、ペノーネ、カプーア

私が影響を受けた彫刻家に、ルイーズ・ブルジョワ、ヘヴァ・ヘス、
ジョセッペ・ペノーネ、アニッシュ・カプーアなどが挙げられる。

カプーアのまとまった作品を初めて体感したのは、
2012年、ベルリンのマーティン・グロピウス・バウで開催された
カプーア・イン・ベルリンだった。

その重量感と存在感、また鑑賞者の感覚を困惑させる彫刻に圧倒された。
カプーアは、インド生まれで、後に英国に渡り、彫刻家として大成している。
彼の作品はインドのヒンズーとヨーロッパ文化から
影響を受けたことがベースとなっており、両義性の作家と言われている。

ベルリンで見た彼の両義性を意識した彫刻に大変感銘を受けた。
私は両義の事柄を融合させることをさらに発展させて、
その間に発生している事象を具現化させたいと考えている。

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