第二次渡独前の2011年3月、
僕が生まれ育った母屋の空間で
これまで日本で制作してきた作品の展覧会を実施しました。
それに合わせて作成した本展覧会「渡独以前2000-2011」の
パンフレットに記載しました挨拶文です。
その全文です。
お読みいただければ幸いです。
本日は、ご多用の中、大黒貴之彫刻展にお越しいただき、ありがとうございます。
今回の展覧会開催にあたって、これまでのことも振り返り、少しお話させて頂きます。
2007年5月24日、一本の電話が鳴りました。
それは父の急死を知らせる電話でした。くも膜下出血でした。
この出来事が、郷里である滋賀県に帰る転機となりました。
父の死は、あまりにも唐突で、心の整理が出来るまで、多くの時間がかかりました。
滋賀県では、私の心の整理を助けてくれた3つの出会いがありました。
当時、もう彫刻の仕事はできないと思っていました。
実際、制作する気分にもなれませんでした。
このような状態の中、父の百回忌の日、
地元の中学校から美術講師の依頼の電話を頂きました。
学校では、落ち込む暇などなく、生徒と接する中、
彫刻刀の使い方を始め、創作作業の進め方、
楽しさを説明することが日常となりました。
授業を通して生徒に作品作りを教えていくうちに、
自分も作品を創りたいと思う気持ちが強くなっていきました。
父の死をきっかけに、私自身が主体となって農業をすることになりました。
父の手伝いで、田植えや稲刈りはしたことがあっても、
田んぼの管理ことや機械のことなど、何も分からない状況でした。
それでも、自然に抱かれ、稲を育てているうちに、苗が成長していく様や、
土、水、雑草、鳥、虫などの世界、
それまで当たり前で見えていなかった事、感じていなかった事が見え、
感じられるようになりました。
自然に対する人の無力さを痛感し、
同時に自然への畏敬の念を抱かずにはおれませんでした。
志を持って、仕事などに向き合っている人たちとの交流の中で、
異分野ながら人として共鳴できるものを感じました。
それは、自分が進むべき道を再認識させてくれる出逢いでもありました。
改めて、今までの作品を振り返ってみると、木や和紙、荒縄など、自然の素材を
使い続けて作品を創ってきましたが、それは私が生まれ育ってきた滋賀の自然や環境が
大きく影響をしているのだと気がつきました。
2001年11月に、ドイツに渡り紆余曲折の中、グループ展、個展と、
2度の展覧会を開催させていただきました。
また、ドイツでは、初めて彫刻家と呼ばれ、そして作品が売れました。
この25歳の体験は、私に大きな衝撃をもたらしました。
私という人物形成の原点が滋賀県にあり、
そして彫刻家としての原点は、ドイツにあるのだと思います。
滋賀での経験を糧に、もう一度、第二の故郷ドイツに行くことは、
私自身、彫刻家として、成長を確認する上での挑戦です。
再度、美術の本場であるドイツの地で真剣勝負を挑んできたいと思っています。
父の死をきっかけに、限りある命のこと、
生きること、死ぬことに思いをはせました。
そして、田んぼの仕事のこと、農家さんや近所の方たち、
出会えた皆さんとのかかわりの中で、
人と自然のつながりや、人と人とのつながりについて考え、
また肌で感じました。大きな存在を失った、
反面、見えてきた、人と人、自然との深いつながり。
振り返ると、そんな3年半だったと思います。
ドイツでの挑戦の前にこれまでの作品を、
皆様に是非、観ていただきたいという思いから、
今回、生まれ育った自宅で展覧会をさせていただく運びとなりました。
この空間や作品を通して、私の背景や作品独自の空気感を感じていただければ幸いです。
2011.3.19
大黒貴之