TAKAYUKI DAIKOKU 人生はアートという名の想像力

【知識・見識・肝識】”わかる”とはどういうことなのだろうか

彫刻家の大黒貴之(@Gross_Schwarz)です。

このような言葉を以前、どこかで目にしたことがある。

知識(ちしき)でわかっているのか。
見識(けんしき)でわかっているのか。
肝識(たんしき)でわかっているのか。


Photo by jDevaun.Photography on Visual Hunt / CC BY-ND

自分が得意としている領域の外を体験してわかること

合気道を始めたのは、確か2009年1月だった。

年が明けて、心機一転、思い切って
道場へ通い始めたのがきっかけだった。

その後、ドイツに渡ってからもすぐにベルリンの道場を見つけて
ラーテノウの自宅から1時間半かけて道場に通っていたが、
2013年の秋ごろ重い腰の病気を患ってから
4年半ほど稽古をする間が空いた。

当時、ドイツや他の国々の人たちと一緒に稽古ができたことは
非常に価値ある経験だったと改めてそう感じている。

自身はまだまだ稽古不足で合気道について語る資格は全くない。

ただ、なぜ稽古を行っているのか、時折考えることがある。

自身はこれまで美術の見聞を日独でしてきたし、
また幸運にも作家活動を続けることができている。

しかし同じ領域の中だけで話が
完結するのには違和感があるし、
また1人の思考というものは
自分の世界だけで完結してしまう恐れがある。

だから自分の専門分野とは違う世界を
わずかながらでも体験したい考えがある。

合気道の先生の洗練された
美しい技を目の当たりにすると心が魅了される。

そのお手本を見ているときは
頭の中でなるほどとイメージできるが、
実際にやってみるとこれがなかなかできない。

そのとき自分がわかっていると
錯覚していることに気づき
「あぁ、自分はわかってないなぁ」と初心に戻る。

おそらく、そのことは作品をつくるうえでも
非常に大切な「思い込みの崩し」だと考えている。

自分がわかっていると思っていることは
実はわかっていないことは多分にある。

それをわかるには”自分が知っていると思い込んでいる
”領域の外の世界を体験することで気づくのかもしれない。
少なくとも、その世界から学ぶことは非常に多い。

自分が経験したことのない領域のことを
意識的に体験すること。

どの分野も個も集団も表面的には違うことのように見えるが
深い所ではつながっていると推測している。

もう3年ほど前になるだろうか、
ドイツからの一時帰国中、リハビリの先生から
「快復したら何がしたいですか?」と
聞かれたので「また合気道をしたい」と答えた。

今、再び、稽古ができていることに深い喜びを感じている。

Alles Gute! (アレス・グーテ!)

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