彫刻家の大黒貴之(@Gross_Schwarz)です。
今日は、ベルリンのギャラリー、
セミヨン・コンテンポラリーのギャラリスト、
H.N.セミヨンさんとの交流の中で垣間見た、ギャラリストの仕事や彼の言葉を書きます。
ぼくが日本で活動していたときは、
主に貸画廊という場所で作品を発表していました。
例えば、6日間を15万円で提供された場所を借りて展覧会を催します。
音楽や芸能界で、事務所にミュージシャンや芸能人が所属するのと同じように
美大に入る前は美術の世界もギャラリーに作家が所属して
一緒に仕事をしていくのだろうと思っていました。
しかし、先生や先輩などの周囲を見渡すと、彼らは貸画廊で展覧会をしたり
団体展に所属している人たちばかりで、いわゆるコマーシャル・ギャラリーに所属して
作品を発表している人はぼくが知っている限りいませんでした。
周囲は当然のようにその貸画廊システムの中で作品を発表していたので、
違和感を抱きながらも、ぼくも活動を続けていました。
参考記事:ベルリンのギャラリストから学ぶことと日本の貸画廊システムについて
H.N.セミヨンというドイツ人作家に出会ったのは2002年の夏ごろでした。
ちょうど、ベルリンでグループ展に参加できるチャンスを持ち
市内の工房で制作をしていたとき、隣の作業場で作品をつくっていたのが彼でした。
制作中の彫刻を見て「いいねぇ」と声をかけてくれて
「ベルリン市内にぼくのアトリエがあるから一度おいでよ」と。
そこから交流が始まり、ドローイングのことも初めてそこで教わりました。
ぼくは2011年に再び渡独をしました。
その半年後の9月にセミヨンさんは自身のギャラリー、
セミヨン・コンテンポラリーをオープンさせました。
2012年の夏ごろから、ぼくは彼のギャラリーに所属することになり
一緒に仕事を進めていくことになりました。
以前は作家として活動していたセミヨンさんですが、
今ではギャラリストの仕事に100%専念をしています。
参考記事:一人のドイツ人との出会いによってぼくの作家人生は変わった
彼との交流の中で
ギャラリストの仕事とはどういうものかを深く知ることになります。
彼においてギャラリーの仕事とは
場所を作家に貸し出して収益を得るというものではありません。
また、ただ作品を売ったり、
同じ業界の中で仕入れてきた絵を売るという仕事をするのでもありません。
自分の目で選び抜いた作家の展覧会を企画、広報、販売することが第一の仕事です。
またギャラリー以外の人たちの間に立ち
作家の仲介役や交渉もしますし、若い作家を育てていくことも仕事の一つです。
その膨大な仕事柄、彼は一週間のうち3,4日は
ギャラリーに泊まり込み仕事をしているそうです。
「自分が選び抜いた作家を育てて、彼らを世に出していくことが
ぼくの喜びであり、ギャラリーを大きくしていくことにもつながるんだ」
H.N.セミヨン
ベルリンやバーゼルのアートフェアに足を運んでみても、
それぞれのギャラリーが色を持って、アート界に新しい風を吹き込もうという気配が感じられます。
そのギャラリストの指針やセンス、また進むべきヴィジョンがはっきり見えてないと
自身の音色をつけることはできません。
参考記事:ギャラリストと作家は二人三脚で新しい音色をつけていく
ギャラリストは、コレクターやメディア、
美術館、キュレーターなどの美術関係者たちと
作家を結びつける非常に大切なハブ的な存在なのです。
そのことによって作家の作品が世に出され、
アートの歴史の中に記録されていく機会になっていくのです。
かつてセミヨンさんに尋ねたことがあります。
「君のギャラリストとしての目標はどのようなものなんだい?」
「それは君たちを有名な作家に育てて、美術館に作品を収蔵したり、
もしくはそのような大きな舞台で展覧会を開けるようにすることだよ」
ペーター・トンプソン財団の彫刻パークに
ぼくの作品を設置する際にも一泊して彼はぼくに付き添ってくれました。
パーク近くにあるレストランから日が沈みゆく湖、「白湖」。
その僅かな休息中、ビール片手にあまりにも美しい「白湖」の光景を見ながら、
彼の仕事への姿勢やその言葉をただ噛みしめる自分がいました。