TAKAYUKI DAIKOKU 人生はアートという名の想像力

2人だけが知っているベルリンから送った最初で最後の手紙

彫刻家の大黒貴之(@Gross_Schwarz)です。

普段「またいつでも会えるや」と思っているときほど
感謝の気持ちを伝えることはなかなかできないもの。

父親と息子の関係になると、なおさら感じる照れくささ。

そんなときに、
自分の言葉を文章にして整理すれば、
素直な気持ちを伝えることができるのではないでしょうか。

現代では、メールやLINEなど
非常に便利なツールを使うことが日常的になっています。

手紙を書いて自分の気持ちを
第三者に伝えることは、めっきり少なくなりました。

しかし、一生に一度だけでも、
家族や本当に大切な人に
自分の気持ちを手紙にのせて伝えることは価値があると思います。

 

ベルリンの展覧会後にしたためた手紙

最初で最後の手紙-01
2001年~2003年に実施した第一次渡独の際、
グループ展、個展という発表の場をベルリンで得たことは
僕が当初立てた目標を達成したことでした。

展覧会の後、日本の親しい人たちへその報告の手紙を書きました。

なんて書いたのか、もうほとんど憶えていませんが、
とにかく展覧会ができたことの喜びと感謝の意を綴った文面でした。

最大の支援者だった父親にも手紙を出しました。
彼にそのような手紙を書くのは、後にも先にも初めてでした。

2003年の帰国後は、
彼の頑固さと僕の生意気さが相まって衝突が絶えない仲でした。

今、振り返ると僕の将来へ心配が大きかったのだと思います。

 

急に逝ってしまった父親

最初で最後の手紙-02
そんな父親が2007年に急逝しました。

弟から電話があったとき、
大阪の会社に勤務していました。

仕事を途中で切り上げてさせてもらい、
滋賀県へ飛んで帰りました。

すでに多くの親戚や近所の人たちが自宅の母屋に集まっていて、
僕はそのまま喪主になりました。

最初に通されたのは、父が横たわる仏間。

周辺のガヤガヤという喧騒だけが耳に残っています。

最初に会わされたのは、葬儀屋の人。

そして彼が面会一番に、

「どの祭壇にしますか?」

一体誰の葬式をしているのかわかりませんでした。

 

父親に送った最後の贈り物

最初で最後の手紙-03
出棺の日、彼の棺桶に花や思い出のものを
家族や親戚たちが入れています。

彼らが何を入れていたのかは知りません。

僕は、ドイツで書いた手紙を入れることにしました。

彼が食事をしていた台所。
部屋の上に飾ってあった帆船が描かれた白黒の絵。

僕が中学2年生の時、美術の時間に制作した絵。

その絵の後ろにその手紙は置いてありました。

もしあの世があるとしたなら。

僕がしたためた拙い手紙が
彼が残した足跡の一つになるのならと。

その手紙はもう誰も見ることはありません。

彼と僕だけが共有した文面と時間。

本当は口に出して、一言

「ありがとう」

と伝えるべきだったですが、
父親と長男というのはそのような関係なのかもしれません。

それは、ただの自己満足なのかもしれません。

しかし、その手紙を書けたことは
本当によかったと今になって思っています。

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