日本のギャラリーで初個展をした大阪天満橋での思い出:苛立ち、嬉しさ、むず痒さ
彫刻家の大黒貴之(@takayuki_daikoku)です。
私が初めて個展を開催したのは、23歳の時でした。大阪、天満橋のギャラリーで個展をしたのは2000年3月でした。確か、2週間の展示で3万円ほどを支払い、展覧会を開催したのを覚えています。ビルの9階にある小さな一室で、いわゆる貸画廊というレンタルスペースでした。
ギャラリーというところで展覧会をすると多くのお客さんが作品を観に来てくれるのだろうと当時の私は思っていました。けれども実際は1時間に1人来るかどうかというものでした。
初めての個展は大阪の貸画廊だった
まだ学生で、かき集めた木の枝と荒縄を使った彫刻シリーズを制作していた頃です。当時、現代アートについて大学の先生たちに尋ねても、明確な回答は得られなかったと記憶をしています。
ただ、自身が育った近江の自然風景、田んぼや琵琶湖、山、川、広い空。静寂なイメージがあって、とにかく自然素材だけを使うんだ!という意気込みだけはありました。
1999年に同じ大学の芸術計画学科の学生たちが企画した「Interlink~介在する行為~」というグループ展に参加しないかと誘われて大阪ビジネスパークの中にあるクリスタルタワー のエントランスで展示をさせてもらいました。その時に、ギャラリーの人に声をかけてもらい、最初の個展につながるという流れでした。
個展の期間中ほぼ毎日、約8時間、部屋の隅に置いてある椅子に座って、目の前の作品をジッと見つめたり。会場に隣接されているベランダに出て天満橋の風景を眺め、手に汗を握りながら、ひたすら人が来るのを待ち続ける毎日。誰かが、階段を上って来る足音が聞こえると鼓動がドキドキと早まるのがわかります。
初個展の時の反応と批評と記憶:苛立ち、嬉しさ、むず痒さ
何人かの人たちは作品についての意見を述べてくれました。しかし、心地よい意見はほとんど憶えていません。ある作家の人からは「どういう方向にいくのかよくわからない」ある大学の先生は「今回の作品は失敗だね」と言い、手作りの作品ファイルをシャッシャッとめくった後、鼻でフンッと笑いながら帰って行きました。
早く忘れてしまえばいいのですが、困ったことに、そういうことは何故かよく記憶に残るものです。公の場に作品を出すことは、当然良い批評、悪い批評を受けるということです。その意見や批評の中から、何が自分にとって重要なことかを真摯に受け止め、必要なもの、必要でないものを、冷静に分けていかないといけないなと思いました。
そういえば、親父と妹弟が滋賀県からはるばる電車に乗ってやってきてくれました。作品を見た後、吉本新喜劇を見て帰るんだと言って。
苛立ち、嬉しさ、むず痒さ、そんな感覚が入り乱れた23歳の初個展。
流れた時間と目の前に広がる展示空間。
私が彫刻家としてスタートを切った展覧会でした。
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