彫刻家の大黒貴之です。
前回の続きになるのですが、
なぜ、制作した作品をアトリエの片隅においてしまって置くのではなく
第三者に所有してもらうことが必要なのでしょうか。
そのことについて、少し違う角度から考察してみたいと思います。
Photo credit: Helmut Henry Hans via Visualhunt / CC BY-SA
世の中の経済は、主に商品とサービスで成り立っています。
商品は、物的に触れることができるモノであり、サービスは触ることができないコトです。
家電や車、スーパーなどの商品は物的なモノであり、
ホテルやマッサージ、旅行なんかは触ることができないコトになります。
飲食なんかは、食べ物の物的なモノとお店の雰囲気や立地、
きめ細かなウェイトレス/ウェイターのサポートなどのサービスが両方加わったものだと言えます。
また、彫刻や絵画などの美術作品は、モノであると言えますし
音楽や舞台作品などは、素晴らしい時間を提供しているサービスだと言えるのかもしれません。
モノ、或いはコトがよければ、お客さんはあとから付いてくるということが言われます。
確かに、それらの商品、つまりコンテンツが良いということは
大前提にある大切なことです。
しかし、その大前提にプラスして、人に知ってもらうということが
とても重要なことになります。
例えば、とても便利な家電があるとして
それを使っているAさんにとっては、当たり前に目の前にあるモノなのですが、
それまでその家電を知らなかったBさんにとっては、
「えっ、そんなに便利な家電があったの!」という
驚きとその存在を発見した喜びに変わることになります。
つまりBさんにとっては、その家電はそれまで存在しなかったということになるのです。
世の中には、広報と宣伝という仕事が満ち溢れています。
経営者たちは、この広報宣伝にお金を投資することによって
投資した以上の収益をあげようとします。
なぜ巨額の宣伝費を払って、テレビにCMを流したり、
アメリカの映画会社が世界中に「これでもか!」というくらい宣伝を流すのでしょうか。
なぜなら、その商品の存在を頭にインプットさせようとしているからです。
つまり、あなたが知らない世の中のことは
あなたの中で存在していないのと同じなのです。
アート作品も同じことで、どれだけ素晴らしい作品をつくっても
それを知られることがなければ、存在しないのと同じことなのだとぼくは思います。
稀に、作家の死後にその素晴らしい作品が発見されて世に広まることもあるでしょう。
しかし、それも発見した人がその作品を広報宣伝をして
世の中の人に知ってもらうことによって、その存在を位置付けたからです。
だから多くの人にその存在を知ってもらうことが必要になってきます。
仮に貸画廊で個展を開催したとしましょう。
6日間で来場する人は平均で100-150人くらいだと思います。
展覧会が終わった後は、そのまま作家のアトリエにしまわれ
そのまま眠っていくことがほとんどだと思います。
ということは、一生懸命制作したその作品は
多くても150人の中にのみ存在しているということなのです。
だから広報宣伝を積極的に行ってくれるギャラリーと協働して
仕事を進めていくことが大切になってくるのです。
一方でインターネットが登場し、ブログやSNSなどのツールを用いて、
作家としての存在を伝えていくことは十分に可能になってきているのも確かです。
今日の作家において、制作、発表やカタログ出版などに加えて
インターネットで自身を広報していくことはますます重要なことになってきます。
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