個展「A Part for the Whole 」2020年 MARUEIDO JAPAN 東京

敷居の上の造形ー大黒貴之の制作について

福元崇志(国立国際美術館 主任研究員)

黒く直線的な鉄枠にぶら下がる、白く曲線的な彫刻。房状に増殖するそれは 細胞のような、果実のような、あるいは男根のような……と、さまざまに連想 を誘うが、おそらくどれも正解であって、正解でない。「自然の構造」を観察 し着想を得た、と作者自身が言うのだから。いや、何を表象しているのかは、 このさい問題ではないと考えるべきか。重要なのはむしろ、異質なるもの同士 の並存、作品に内在する種々の二極構造である。アルベルト・ジャコメッティ のシュルレアリスム時代を彷彿とさせる鉄枠も、ここでは内側からの膨張と外 側からの収縮という、緊張状態を生み出すための装置として機能している。

彫刻家の大黒貴之は、このように煮え切らない。「AかBか」をはっきりさせ ず、ひたすら「AもBも」であろうとする。物事を二つに分けるという、とりわ け西洋において馴染み深い思考図式は、往々にしてある種の暴力に帰着してし まうからだ。たとえば真偽、善悪、美醜、また心身、主客、公私、等々。分け ることで、世界はたしかにすっきりと整理されるが、そのとき、優位に置かれ た一方が、劣位に置かれた他方を排除しようとするだろう。それを回避するた めには、敷居のうえに踏みとどまらなければなるまい。白黒をつけず、白と黒 とのあいだを行ったり来たりしつづけること。鉄枠に吊され揺れる彫刻は、そ んな彼の根本姿勢を体現していると言えそうだ。 もちろん、2017年から精力的に手がけられるフォールド・ドローイングの連 作、つまり「折りたたまれた線描」群も、その延長線上に位置づけられる。幾 百幾千と重ねられ、もはや色面と化した鉛筆の線と、支持体の紙それ自体に手 を加えてできた、「折り目」としての線。折り紙や紙細工のようなその制作は 紙に凹凸を与え、彫刻的な相貌を作品に付与するだろう。描線と色面、平面と 立体といった二極の敷居の上で、ドローイングは揺らいでいる。やはりと言う べきか、大黒のねらいは何かを描き出すことではない。種々の緊張に引き裂か れんとする紙上、手の動きの痕跡から何かが立ち現れてくるのを、彼はただひ たすら待ちつづける。

個展「Folded Drawings」 2018年 Semjon Contemporary Berlin

大黒貴之 「フォールド・ドローイング」

2018年6月8日〜7月14日

2011年にギャラリーを創立して以来、当ギャラリーのアーティストである大 黒貴之は、2017年春のグループ展「Penetrating Paper : Cut – Perforated – Folded…」 において、フォールド・ドローイング作品を初めて紹介した。以来、大黒はこの新 しい創作分野 に以前にも増して集中的に取り組み、今後も見る者をあっと言わせる 作品を創出するに違いない独自のフォールド・ドローイングの世界を創り上げた 。

こうして今回初めて、最近の創作活動で生まれたまとまった数の作品を揃えるこ とができた。アートフェア「paper positions berlin」では、大黒のフォールド・ドロ ーイングをギル・シャハーの作品と対峙させたばかりだ。

シリーズのメインとなる作品は、数多くの小さな正方形のフォールド・ドローイ ングで構成された180×283cmの三幅対「RGB」である。個展の招待状の内 側を見ると、作品のサイズが見て取れる。そこには、 触感と質感が伝わってくるよ うな光沢に包まれた大黒が作品の前に立つ姿が写っている。

この作品は、遠くから見ると、菱形格子模様の浮き出し加工を施し、ニスを塗っ た革壁紙のようである。格子模様の線に当たる部分は、紙を折っていることが分か る折り目部分であり、 空間に立体的に浮かび上がる。 三幅対の線の色は一幅ごとに 異なり、 左幅は緑、中央幅は赤、右幅は青である。そして、格子の線の色 (red, green, blue)から、「RGB」という短い作品名の謎は明らかになる。また、制 作の最終段階でグラファイト鉛筆を使ったことにより、菱形の表面は革のような光 沢を帯び、少しメタリックな輝きを放つ 。しかし、表面の全ての部分がこのように 仕上がっている訳ではない。実は正方形の紙の中央には赤、さらに部分的に緑の下 塗りが透けて見えるのだ。赤、緑、そしてメタリックなグラファイトの黒が、菱形 の線の色に縁取られ、紙ごとに異なる 有機的なモチーフに強調されながら、もつれ 合い、入れ替わる。大黒の抽象的且つ有機的なドローイングを見てきた者なら、遅 くともこの辺で「RGB」が彼の手によるものであることに気付くだろう。大黒は、 おそらく下塗りした色が乾かぬうちに、鉛筆で有機的なモチーフを刻み込み、グラ ファイト鉛筆でのドローイングの精緻さよりも、三幅対というこの作品の本質的特 徴を重視した。そして、色が乾いた後、強弱差をつけてグラファイト鉛筆を塗り、 複雑な輝きを放つ魚の鱗、あるいは革の壁紙を彷彿させるような、ダークな色合い が揺らめく表面に仕上げた。こうして、もとの紙は制作の過程ですっかり紙として の本来の特徴を失い、見る者が思わず手で触れたくなるような新たな素材へと変化 した。人には視覚だけではなく他の知覚が備わっている。事実、「paper positions berlin」の会場では、この作品の素材を確かめようと、 さっと手を伸ばそうとする 人々をよく見かけた。

彫刻家の大黒が、(二人だけ挙げるとすれば)ウルズラ・ザックスやギル・シャハーといった当ギャラリーの他の彫刻家同様、紙を素材とした作品制作に取り組むことになったのは、実はごく自然の流れだと言えるだろう。フォールド・ドローイングという新たなジャンルの多様性は「RGB」に集約されている。また、その多様性は、同時に数多くの小さな作品においても様々な形で見 て取ることができる。 まっすぐ水平に折り目をつけると段やジグザグ型になり、シャープな直角の線が浮かび上がるが、紙の端まではいかない、内側部分にのみ折り 目をつけると、 非常にユニークな隆起と窪みの「ランドスケープ」が誕生する。

大黒は現在、フォールド・ドローイングの世界が持つ可能性を探求している最中 である。 そう、それはまだ始まったばかりなのだ!

ストリートサロンでの大黒の個展と並んで、隣接スペースでは内倉ひとみの個展 「Lumière」も同時に開催されている。内倉もまた大黒と同様、紙ベースの作品を展 示している。二人の作品は、芸術的アプローチの仕方こそ違いはあるものの、アー トの素材、そしてインスピレーションの源として、紙がいかに日本文化に深く根付 いているかを物語っている。

2018年5月

セミヨン H.N.セミヨン

「MARRIAGE BETWEEN ART AND NATURE / アートと自然の融合」 2016年 カタログテキスト

アートと自然の融合

はじめに

2002年、私は細い木の幹から彫られた背の高い植物のような一連の彫刻に出会っ た。それは軸の高さがまちまちで、先端の立体的で丸みを帯びた形の部分は彩色された和 紙で覆われていた。白く、とても繊維質な和紙は、素材としての存在感を十分に示しなが らも、ちょうど色が透けて見えるくらいの透明感があった。私が見た作品は、若い日本人 の彫刻家大黒貴之が ベルリン滞在中にヴェディング地区にある工房で完成させたばかりの「フローラ/ Flora」(45ページ)というアンサンブル彫刻だった。それから9ヶ月後、 私のプロジェクトルームだったキオスクショップベルリン(KSb)で「インターベンショ ン(Interventionen)」という展覧会シリーズを開催したのだが、このオープニングを飾っ たのが「フローラ」だった。

ドローイングも合わせて展示したいと考えていたので、私の指導の下で3週間にわたる ドローイング集中講座を受けてもらった。その結果、「フローラ」の形にインスピレー ションを受け、立体的な彫刻作品を見事に補う、独特のドローイング作品が誕生したのである。

数年後、私がちょうどギャラリーを開こうとしている時に、大黒貴之は妻の美代子さん とドイツに移住してきた。2013年にはベルリンにある私のギャラリーで大黒貴之の新 しい作品を展示した。それまでの2年間、彼はハーフェルランド郡のフリーザックにある アトリエで、ドローイングの腕をさらに磨きながら、数々の彫刻作品の制作に集中していた。このカタログを通じて、大黒貴之が過去数年間に生み出した作品を多くの方に紹介でき ることを心から嬉しく思う。

とりわけ、大黒貴之が「連邦庭園博覧会(BUGA)ハーフェルランド2015」の関連 事業として、リベック近郊にあるヴァーゲニッツ景観公園の「ランドアート・シュロスパーク・ヴァーゲニッツ」という大きなプロジェクトの依頼をハーフェルランド郡から受けた 際、プロジェクトの計画及び実行の段階において彼をサポートし、アドバイザーとして役 に立てたことを嬉しく思う。このプロジェクトのために制作された素晴らしい作品(4 9~55ページ)は、ペーター・ヴィルモット・トムプソン財団が間もなくメクレンブル ク・フォアポンメルン州ヴェーゼンベルク市にオープンする彫刻公園「Bei Wu(白湖)」 に展示される予定である(56~57ページ)。

2016年4月/5月 セミヨン H.N. セミヨン

アートと自然の融合 

大黒貴之の彫刻、ランドアートプロジェクト、ドローイングとその他の作品

自然からのインスピレーションを基に、多様な形を生み出す大黒貴之はパルス・プロ・ トト(「部分をもって全体をあらわす」=ラテン語)という普遍的な法則を体得している と言える。一本の小枝が大木を連想させ、小枝でありながら木の本質 – 例えば、周辺部で 常に若返り続けていること – を体現しているように、大黒は作品を内から外へ向けて展開 する。たくさんの小さなパーツを足すことが大きな全体を作るというもう一つの自然の法 則も考慮しながら。植物のような彫刻作品は、穀物の穂や葡萄の房、あるいはエキゾチッ クな散形花序の花を彷彿させる。

大黒貴之の彫刻作品は幾つかのグループに分類できる。台座の上に構築された作品はほ とんどが「旋風 / Wirbel」、「ウッド・セル / Wood Cell」、「ゾイレ / Säule」、「小風 / Lüftchen」(11、13、15ページ)のような小さな彫刻であるが、それらは大きな作 品のモデルにもなっている(ヴァーゲニッツの草地に立つ「ウッド・セル / Wood Cell」が その一例、4、34ページ)。また、「ケレスの涙 / Tränen der Ceres」や「朝の始まり/ Der Anfang des Morgens 」などのように、吊り彫刻として造られた作品もある。大きく分けると、基本形はこの二種類だが、これらはさらに彫刻を構成するパーツを制作する際のア プローチの違いで分けられる。木彫を集合させた作品では、単体表面の彫り跡が作品全体 の印象を決める重要な構成要素の一つだ。また、紙で作った芯を紐と和紙で包んだパーツ を集合させた作品もある。さらに、「玉煙 / Kugelrauch」(18~19ページ)のように、 紙でできた原型を和紙で包んだ作品もある。和紙は、主に白い紙が使われているが、「朝 の始まり/ Der Anfang des Morgens 」(8ページ)のように和紙を柿渋(渋柿の果汁を発酵 させた赤茶色の塗料)で染めた作品もみられる。別のアプローチでは、黒い立体的な鉄枠 が作品の印象を決める基本形となり、その鉄枠で囲まれた「立方体」空間に、単体彫刻「連 綿(インドア)/ renmen (indoor) 」(16ページ)が吊るされている作品と、複数の鉄枠と彫刻を組み合わせた「コスモス(インドア)/ Cosmos (indoor)」(22~23ページ)のよ うな作品がある。複数の鉄枠と異なる彫刻で構成されるこの作品では、内と外、重さと軽 さ、静と動、無機的な構造と有機的な形というコントラストが遊びを感じさせる。

大黒貴之の彫刻における足していくという要素は、日本文化の影響に帰することができ るのかもしれない。彼の見事なドローイングには、制作中の彫刻作品の問題点を事前に解 決するため、あるいはフォルム上の困難な点を知っておくといった、いわゆる習作のよう な下準備的要素はなく、あくまでも彫刻作品に付随するもの、彫刻から切り離されたもの であると理解する必要がある。だが、習作がないということは、それとは異なるアプロー チが必要となってくる。小さなパーツを足していき、大きな作品を作り上げていく過程 は、その創造プロセスが作品に反映されるだけでなく、作品を確認しながら作業を進めることを可能にする。塊を彫っていく作品の場合、一度叩き落とした素材は再び貼り付ける ことができないため、素描を通じた制作準備を欠くことは大きなリスクを意味する。これ に対して、大黒の作品は小さなパーツで構成されているため、制作過程のどの段階でも、 フォルムの緊張感を確かめ、パーツを足したり減らしたりすることでイメージした形に完 成させることができる。

また、大黒貴之の構成技術の正確さは、「ウッド・セル / Wood Cell」という固いオーク 材を削って制作した大きな屋外作品でも証明されている。ハーフェルランド郡ヴァーゲニッツの通称「スウェーデン塔」の前の草地に立つ高さ約325cmのこの作品では、直径25cmから40cmのナッツやボールのような形の彫刻が外から見えないステンレス の支柱に連なって通されている。驚くべきことに、この丸いナッツのような彫刻は、中が 空洞で(腐敗を防ぐため内側に瀝青が塗られており)、ぴったりとステンレスの支柱を包 み込むように綿密に彫られた二つの半球からできているのである(77ページ)。さら に、「半球一組」につき二カ所にチギリを入れ、ぴったりと留めることで、風雨にさらさ れて合わさった半球が離れ離れになるのを防いだ点においても熟練した職人技を見て取ることができる。だが、正確な技術だけでは、偉大なアートたり得ない。大黒貴之は巧みな 技をアートに昇華させるために必要な何かを兼ね備えたアーティストである。それは、植 物のような、有機的な形をした彫刻(そしてドローイング)作品を通じて自然の精髄を究 める能力だと言えるだろう。メタファーに満ちた朗らかさや軽やかさを持ちながら、どこ か謎めいた彼の作品こそ、まさにアートと自然の融合である。

2013年に私のギャラリーで主要作品として展示され、2014年から2015年に はリベック宮殿において部分的に変更された作品構成で再展示された「ガーデン / Garten」(39~42ページ)のように、大黒貴之が個々の作品をアンサンブルに構成するとき、 既に冒頭部分で述べたパルス・プロ・トトの原則を改めて意識させられる。同時に、屋外 であれ屋内であれ、作品を空間の中のアンサンブルとして捉える類い稀な才能にも気付か される。これは、屋内で展示された「ガーデン / Garten」でも、屋外プロジェクトである「ラ ンドアート・シュロスパーク・ヴァーゲニッツ」の印象的な演出についても同様に言えることである。後者では、「ガーデン / Garten」の構造的で抽象化された「風景」の演出とは 対照的に、大黒は荒れて野趣に富み、魔法にかけられたようなヴァーゲニッツ英国庭園の 自然空間と屋外彫刻を真っ向から対峙させている。

大黒貴之のまだスタートして間もない彫刻家としてのキャリアにおいて、「連邦庭園博 覧会(BUGA)ハーフェルランド2015」の関連事業としてハーフェルランド郡から屋 外展示作品の依頼を受けたことは大きなチャンスと挑戦を意味した。この一大イベントの ために常設作品 (「ウッド・セル / Wood Cell」)、そして企画展用の作品が新たに制作さ れることとなった。 大黒本人とハーフェルランド郡文化事業担当部長ブルーノ・ケメルリ ング、フリーザック、そして後にヴァーゲニッツ・ミューレンベルク郡の行政局は、比較的 短期間で大黒の作品をヴァーゲニッツ景観公園に展示することに合意した。それほど彼の 作品モデルは関係者を魅了したのだ。

単体およびアンサンブルの彫刻作品を展示する三箇所の場所は、見通し、そして作品と 周辺植生の理想的な共存を考慮して大黒本人が選んだ。木蔦が絨毯のように敷き詰められ た緑の島は、単体作品「連綿(アウトドア)/ renmen (outdoor) 」の理想的な展示場所となった。作品の背景に広がった、 木々の葉が織りなす色とりどりの緑色は、黒い鉄枠に囲 まれた白い葡萄の房のような作品をより一層輝かせていた(49~51ページ)。 大黒は 5つの同じ形の単体から成る「連綿 アンサンブル / renmen Ensemble 」を、主要園路沿いの木がまばらな場所にバランスよく配置した。この作品は、見る角度により異なる表情を 見せ、道沿いを歩く人々の目を常に楽しませてくれた。さらに離れたところには、もう一 つの 力作「コスモス(アウトドア)/ Cosmos (outdoor) 」がある。これは、高さ4メートル の四方八方に広がった立方体の中に、 植物のような様々な 吊り彫刻が収められた大作で ある。

半年の展示期間中、自然の姿にも変化があった。木々が芽吹いたかと思うと、次第に新 緑が濃くなり、さらに夏になると木々の隙間が緑のシェードで埋まった。おかげで、公園 を歩くたびに、刻々変わる光と自然の中で静かに佇む作品の表情を眺めることができた。

大黒が半年間に渡り公園で撮影した写真の数々は、作品の移り行く表情の単なる記録に留 まるものではない。それは、理想的、かつ神秘的な光を放つアートと自然の出会いを写真 という色褪せない形で残した芸術作品である。自然とアートが絶妙なバランスを保ち、融合した姿を写し撮った作品は、美しい余韻を残している。

木と紙は屋外に長期間展示される作品にはきわめて不向きな材質である。大黒は、白い 植物のような形をしたパーツを耐水性があり紫外線に強い樹脂塗料で重ね塗りすることで この点を克服した。なお、それほど遠くない将来には、この樹脂塗料の代わりに半光沢で 白色のブロンズが使われことになるであろう。

「枯れ木に花を咲かせよう / Lasst am abgestorbenen Baum Blumen blühen」(2001年) や「巻1998 / Coil 1998 」といった初期に日本で制作された素晴らしい作品でも、大黒は既 に自然の素材を使うことにこだわっており、彼がその後、(庭園や公園のような)自然空 間へと活躍の場を広げていくことは当時から既に予見できた(24~25ページ)。

大黒貴之の全作品においてドローイングは重要な一角を占めている。これまでのドロー イング作品は、ほとんどがA4の紙に描かれている。中でも、ここ数年は変化に富んだ作品が誕生している。主に2011年に描かれたドローイングは、彫刻作品に付随するものと 捉えることができる。それは、問題点を確認するための習作ではなく、彫刻からドローイ ングへの独自の翻訳のような位置付けで、特定の彫刻作品をそのまま描くわけではなく、 作品の本質的特徴を表わしている(無題02-2011、03-2011、16-2011、65~66ページ)。また、 作品群としてのタイトルこそまだ付けられていないが、ほぼ同時期に描かれ た その他のドローイングシリーズも、 シリーズごとにはっきりとした特徴が見られ、非常に面白い仕上がりになっている。中でも、2012(67ページ)年に描かれた黒地のド ローイングは、数こそ少ないが傑出している。この作品は、抽象的な風景を極端にラジカルな象徴性あふれるアプローチで描いている。細い水平の線は紙の白地が残った部分で、 グラファイト鉛筆で隈なく黒に塗ったその他の部分は、あたかも金属のような印象を与え る。さらに、毛糸玉のように紙の上に広がった形のもつれ合いを描いた2013年の作品 も魅力的である(無題01-2013~10-2013参照、69ページ)。

最近になり、大黒は膨大な数の多様なドローイング作品を紹介するためのショートビデ オを制作した。フリーザックのアトリエに隣接する長い間使われていないイベントホールの床の上に約700枚のドローイングが並べられ(見返し参照)、それら無数の紙を上から撮った映像は、さながら大勢の音楽家が共に音色を奏でるオーケストラのようである。 キオスクショップでドローイング講座をした当時を振り返りながら、今この映像を眺めてみると、大黒が彫刻の他にも身近な表現媒体を得たことが明らかになる。

ドローイングはさらに、 加工した支持体に線を彫っていく「Carve Painting /カーヴ・ペ インティング」(46、59~63ページ)という新たな作品も生み出した。「Carve Painting /カーヴ・ペインティング」では、彫った部分が溝として白いまま残ることにより、もともと平らだった支持体からレリーフが誕生していく。果実の形などを描いた作品 の象徴性は、力強く、まるで古代の作品のような存在感を創り出し、大黒の彫刻作品の流 れを引き継ぎながらドローイングから生まれたという事実を浮き彫りにしている。

セミヨン H.N.セミヨン 翻訳 川井 文

German Art-Magazin Tip’s article / ベルリンの情報誌「Tip」の記事

Tip, 21.05 – 03.06.2015, Heft 11, S. 86 / 2015年5月21日~6月3日号 ノート11・86頁

“Outdoor in Havelland” / ハーフェルランド郡の野外にて

Author : Iris Braun / イリス・ブラウン

日本人作家である大黒はブンランデンブルク州に数年間在住し、ハーフェルランド郡のフリーザック市で作品を制作をしている。彼はランドスケープパーク・ヴァーゲニッツにおいて、日本での経験とドイツ庭園の文化伝統を結びつけている。そしてその概念は木や紙の彫刻の中に注ぎ込まれている。それらは、夢の中にいるようなランドスケープパーク・ヴァーゲニッツの中に大変適合する有機的フォルムとなっている。つまり、この作家のライトモチーフ(根底にある思想)である「生成と消滅」「時間と空間」などの関係性を、この場にある周囲の木々や深緑などの自然と絡めてうまく追体験させているのだ。大黒は、今年開催されているブンデガルテンシャウ(連邦花博覧会)の付随プログラムであるこのプロジェクトを 3 年かけて準備してきた。またこの間、これまでに制作した作品を屋外展示に耐えれるよう効果的に転換させた。 翻訳:大黒貴之

German Newspaper Märkische Allgemeine’s article 10/8/2015 ドイツの新聞「メアキッシェ・アルゲマイネ」の記事 2015年8月10日

German Newspaper Märkische Allgemeine’s article 10/8/2015

ドイツの新聞「メアキッシェ・アルゲマイネ」の記事 2015年8月10日

“Die Nantur ist die beste Lehrmeisterin” / 自然は最良の師

Author : Josephine Mühln / ジョセフィーネ・ミューリン

Articles about outdoor sculpture exhibition “Land Art Schloss Park Wagenitz”

野外彫刻展「ランド・アート・シュロスパーク・ヴァーゲニッツ」に関しての記事

「自然は、最良の師」
ラーテノウに在住する日本人作家・大黒貴之
ヴァーゲニッツ・シュロスパークで BUGA に際して展覧会を行う。
メアキッシェ・アルゲマイネ新聞 2015 年 8 月 10 日(月)フリーザック/ヴァーゲニッツより

 シュロスパーク・ヴァーゲニッツを散策する人は、くねった木々の間にある黒い長方形のフレームを何度も目にすることにる。一見、大きく成長したにんにくを連想する白い塊の葡萄が、フレームの中央に真っ直ぐぶらりと垂れ下がっている。案内板を見るとそこには、「このオブジェは、アートプロジェクト「ランドアート・シュロスパーク・ヴァーゲニッツ」の一作品です」とあり、「日本人作家、大黒貴之によって制作されたものである」と書かれている。

妻と娘と共にラーテノウに住む、この 40 代(原文のまま)の作家は、4 年前にブランデンブルク州を第 2 の故郷にした。彼の仕事場はフリーザックにある。ハーフェルランド郡の文化担当者であるブルーノ・ケメーリング氏が間を取り持ち、古い納屋の一角にある 50 平米の大きなこの部屋を彼に紹介したのだ。

入室の際、ここで、木、紙そして絵具などを使って制作されたのだろうということを観じ、またその匂いがする。左を見ると、ヴァーゲニッツに設置されている作品に似た彫刻が展示してある。しかし、それは屋内を対象として制作したのだと言う。「このフレームはそれほど強固ではありません。細い釣り糸のみで、この蕾のような彫刻を結びつけているのです。また、フレームを強くするだけではなく、中の彫刻には、耐候性も持たせなければなりません。屋外用の白いパーツは、しっかりとしたロープで巻きつけてられて、さらには何層もラッカーで塗装されています」と大黒は説明する。

「真ん中の部分は、たくさんのメアキッシェ・アルゲマイネの新聞紙でできていますよ」と彼が冗談を言う。白いパーツの横断面からは、その新聞紙の部分がはっきり見える。ハーフェルランド郡も、新聞紙を集め、そして、彼にそれらを届けた。「それから蕾のような形の彫刻に和紙とロープを巻きつけて、最後に白色のラッカーを塗装しました」 最初の構想から、花や果実、蕾のメタファーである600 個(原文では 60 個になっている)の白いエレメントが在る全ての彫刻をシュロスパークに最終設置するまで2年半を要した。その彫刻は自然の儚さを象徴している。子どもの頃から絵を描くことや工作が好きだった大黒が言う。

「自然は、最良の師です」と。

ヴァーゲニッツのランドアートは、今年の BUGA の付随プロジェクトである。「この彫刻がその後もまだシュロスパークに展示されるのかどうかまだ確定していません。きっと関心はあるのですが、正式な決定はまだされていないのです」と大黒のギャラリストである H.N.セミヨン氏は話す。ともあれブンデスガルテンシャウ後もヴァーゲニッツの住民たちの元に残るのは、スウェーデンタワーの前に設置しているオーク材の彫刻である。かつてここにあった宮殿の台所の煙突が、今日、この村の遺跡としてそびえ立つ。「ウッド・セル」という名のこの彫刻部分は、クルミを連想する。「先ず、オーク材を半分に切って、中を全てくり抜きました」と制作過程を作家が説明する。 2 つのくりぬいた半球部分を、「チギリ(ドイツ語を直訳すると「ツバメの尻尾型の継ぎ」となる)」で組み合わせている。このふたまたになった形はツバメの尻尾を連想させることから、この名が付いている。

 私達の訪問のために、大黒は、黒いベストの中にピンクシャツのシックな服装を着て、仕事場の入り口で出迎えてくれた。けれども、私達が、制作中の写真を撮影したいという事に、彼はその予想をしていなかった。そこで彼は無造作に様々な色のシミや汚れが付いた仕事着に着替えてまた部屋に戻ってきた。その他に病院で知られている使いきりの手袋を着用し、筆とラッカーを使って仕事を始める。しかし、微笑みながら仕事をするという事に、彼は慣れておらず、カメラマンは、集中した顔つきをほぐすのに何度も手助けをしている。

 滋賀県出身の大黒は、芸術大学大学院を修了後、2001 年に語学学校に通うためベルリンに来た。その時に、H.N.セミヨン氏にも出会うことになる。「タカユキは、その期間に大きな彫刻を制作しました。しかし高額な輸送代のために日本にそれらを持って帰ることができなかったのです」と彼のギャラリストは当時を思い出す。2011 年、彼はギャラリー「セミヨン・コンテンポラリー」を立ち上げ、その後、大黒貴之は、セミヨン氏のギャラリー・アーティストとして所属することになる。

 2011 年 4 月、大黒はドイツに-正確に言うとラーテノウに-戻ってきた。「アートに関して、日本とドイツでは大きな相違があります。私の郷国では、現代アートの領域はわずかしかありません。すくなくとも、ベルリンとはとても異なっています」 「永遠に続く生成と消滅、破壊と再建というテーマに私は関心を持っています」と大黒は話す。生成、消滅、時間と空間。それらが彼の作品の主題となっている。

日本語訳:大黒貴之

Solo-Exhibition “renmen -ununterbrochen-” / 個展「連綿 -途切れることなく-」 Semjon Contemporary Berlin 19/07/2013 – 17/08/2013

セミヨン・コンテンポラリー ベルリン 2013年7月19日 – 8月17日

German Newspaper Der Tagesspiegel’s article 10/8/2013

ドイツの新聞「ターゲスシュピーゲル」の記事 2013年8月10日

Author : Christiane Meixner / クリスチアーネ・メイキシィナー

(ベルリン日刊紙)ターゲスシュピーゲル 2013年8月10日 室 内 園

ギャラリー “セミヨン コンテンポラリー” の大黒貴之展

オープニングに花を! 大黒貴之は自作の彫刻の横に華奢な挿花を置いている。この日本人作家にとって、ギャラリー セミヨンコンテンポラリーでの個展は初めてのものであり、あたかもそれに感謝の意を示すかのように、彼は、オブジェ、枠、花、海藻のような植物、果実、など、独特で包括的な作品の構成をしている。ただし、これらは総て自然の素材である木で作られているのである。1975年(原文のまま)生まれのこの作家は、幹や太い枝をシュールレアリズムのオブジェを思わせるような、個性的で繰り返し現れる原型に切り分けている。和紙と茶色味を帯びた着色液で簡単な素材を作品に仕上げるのだが、これによって大黒は、奇妙な、そして同時に人を惹き付ける室内空間を造り上げている。部屋と庭と若木箱と抽象的彫刻の混合とでも云おうか。選ばれたドローイングがインスタレーションと共に展示されていて、ここでは決して偶然に任せるようなことはしていないことが分かる。それとは反対に、作品の与える脆く仮初めだという印象は、綿密な準備によって作られたのである。この作家には、彫刻のアンビバレントな性質についての熟考がどうしても避けられないのだ。彫刻が倒れることなく、どのように空間を占めるか、どれくらいの量感になるのか、理論的にはどこまで広げられるか、等々。ここで大黒は、ブランクーシの作品「無限柱」への高い評価を示している。展覧会のタイトル “連綿 – 途切れることなく” は同じ方向を示しており、生成と消滅をテーマとしているのである。
cmx(著者Christiane Meixnerのイニシアル)

個展「連綿 – ununterbrochen」(彫刻・オブジェ・ドローイング)2013年 Semjon Contemporary Berlin

筆者:H.N.セミヨン

2013年7月19日 – 8月17日

「連綿 – ununterbrochen -」は、ハーフェルランド郡ラーテノウ市在住の日本人彫刻家、大黒貴之がセミヨン-コンテンポラリーで行う初めての個展である。

この作家の起点はいつも木という素材である。まだ樹皮が着いたままの木の幹やがっしりした枝を使い、それを独自の”原型”に切り分けていき、さらにそれらを組み合わせてあたらしい形を造り上げる。それから和紙と柿渋(下記の酵素から作られる茶色の天然着色液)で手を加えていくのであるが、その過程で形と内容をどのようにするかが決められていく。そしてその結果、自然の単なる模倣ではない蕾、花、果実が、抽象的で符号によるメタファーのようなものとして表されている。

彼は、自然と人の手に成ったものを繋ぐという日本の伝統を踏まえていて、我々に禅の庭園を思い起こさせる。しかし、そこで彼は自身の表現言語をはっきりと示し、伝統を踏まえながらも、それから独立した独自の言葉を見つけると云う新しい文脈の中に自分を位置づけている。自然の中にある形を取り上げても、それを単に再現するのではなく、常に変形し再編成している。それにより、文化による制約を受けない普遍的な関連付けを可能にしているのである。彼の作品は慣れ親しんだものだという感じを与えると同時に、異質だとも感じさせる。

ドローイングは、自然から借りてきた、または彼がそう解釈した自然の形の抽象的符号を思わせる独立した作品であるが、立方体の鉄枠の内やテーブル/棚のような台座の上に展示された彫刻とそれらドローイングの間に生じる緊張感の場となった展覧会は、一種独特に構成された庭園を散歩するような感じを訪れる人に与えるのではないだろうか。

美術史上で問題となった彫刻と台座の相関関係の扱いにおいても、次のような側面がより豊かさを与えている。それは、人の手になる個々の形が、さらに大きな(やはり形成された)全体の文脈の部分をなしている日本庭園の歴史とその受容を示唆していることである。

空間を大きく占め、高さを強調した台座の構築は、また、住居のような親しみ易さと機能的な冷たさという相反する感じを同時に与える空間であると受け止められるかもしれない。ここでさらに新しい広がりが展開し、想像の中での庭園は他の位相へと運ばれ、平面上で配置されたものが高さという次元でも仕立てられていることにより、踏み均された”ものの見方”から離れて新しい可能性を見出す道が示されているのである。

「連綿 – ununterbrochen -」は、生成と消滅、破壊と再建が永遠に続くサイクルのメタファーとして理解することもできる。

ベルリン 2013年6月

フィリップ ツォーベル / H.N.セミヨン

翻訳 藤江ヴィンダー公子