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彫刻家の大黒貴之(@takayuki_daikoku)です

私たちが生活を営む世界は、果たしてどのように形成されているのでしょうか。地図上で見れば、それぞれの国が国境を定めて、それにしたがって人々は飛行機や自動車、電車等で行き来しています。しかし、国や社会というものは目に見えないものです。普段、なんとなく日本、ドイツ、東京、などと地域を区切って話をしますが、それは人が定めたもので、例えば、犬や猫、鳥、さらに言えばウィルスにとっては何のボーダーラインもありません。

この世界は石ではなく、キスの集まりでできている

イタリアの理論物理学者カルロ・ロヴェッリ氏は「この世界は石(物質)ではなく、キス(出来事)の集まりでできている」のだと論じています。出来事や関係性が起きるネットワークの連鎖によってこの世は形成されていて、それは英国人のように秩序立った列は作らず、まるでイタリア人のようにごちゃごちゃと集まっているイメージであると論じます。また彼は、私たちが想像する過去現在未来という一方通行のような時間軸は、存在しないと主張します。もしも「時間」が出来事の発生自体を意味するのなら、あらゆるものが「時間」であるといいます。時間のなかにあるものだけが、存在するのであると。そして、「この世界は、ずっと続くものではなくて絶えず変化するものであり、恒久でないもので成り立っている」といいます。そう、世界は、空間的にも時間的にもキスという出来事のネットワークでできているのだと。

縁起:目に見えない関係性や出来事の連続によって世界は形成されている

私たちが形成している国家、社会、組織、コミュニティ、家族などは、ある人が抱いたイメージを誰かが行動することによって具現化した賜物であるといえます。その土台の上で今、生きる私たちは生活を営んでいます。しかし、その目に見えない集合体の連鎖は、個としての人(物質)が生み出しているのではなく、我と他者との間で起こった出来事や関係性によって発生しているのだと考えます。この文章を読んでいるあなたと私の間には、きっと何かの出来事や関係性が起こり、それがまた次の起こりを発生させていくのだと思ます。その起こりは振動となり、またその振動は他者から他者へと連鎖していくことになるでしょう。その「起こり」は、直線的な時間軸で考える「今」だけではなく、これから起こるだろう「未来」とのある時点においても発生すると考えます。

仏教の四大思想は、無我、無常、縁起、空であると言われています。我という欲望を無くすことが無我、万物は必ず移り変わり流れていくと説いた無常観、人と人との間に発生する起こりのようなものを縁起と呼び、この世界は、縁起の連続帯によって形成されているのだと説きます。そして空の思想である梵我一如は、我と空、つまり我と宇宙は同じであるとされます。私と宇宙の間には途方もない物理的距離がありますが、実は刹那的な距離すらないのかもしれません。

かつて、鴨長明が方丈記で「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。(川の流れは途絶えることがなく、それでいてそこを流れる水はもとの水ではない。川の流れのよどみに浮かんでいる水の泡は、一方では形が消え、また一方で形ができたりして、長い間そのままの状態でとどまっている例はない。この世に生きている人とその人たちが住む場所とは、またこの流れや水の泡のようである。)」と書き残しました。

この絶えず変化していくプロセスが世界を形成しているのだという鴨長明の観点や仏教思想の縁起の概念はロヴェッリ氏の物理学の観点から捉えた概念ととても共通しているように思います。それは西洋科学が東洋思想を視覚化しつつあるようにも映ります。


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↑「なぜ私たちは死ななければならないのか?」という生物学的見地から、
交差する紐を解くように専門的知識も交えながら死について解明していく名著。


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