カテゴリー: 現代アート
【世間のイメージ】事実を知らない人は想像だけに頼ってしまう
【ドローイング/素描】特定のスケッチではなく、作品の本質的特徴を表すもの
「スランプに陥ったときには特にドローイングをするのが良い。自分がまだ発見できていない新しい領域を見つける手がかりになるんだよ」と。ぼくのギャラリストでもセミヨンさんは教えてくれました。また彼は「それは作品の本質的特徴を表わしている」とも言いました。
【時間・存在】ミステリアスに包まれた作家、河原温
世界を代表するコンセプチュアルアートの日本人作家、河原温さん。ぼくが尊敬する作家のお1人です。時間や存在という深いテーマで作品をつくり、またミステリアスに包まれた作家でもありました。
【アート作品を買う】あと、自身が購入するときのプロセス
80年代後半から90年代初頭にかけてのバブル期、日本ではあらゆる価格が日に日に高騰し、そして、その神話は崩れさりました。筆者も小さな作品を購入することがあります。アート作品を購入するときのプロセスはどのようなものなのでしょうか。
【現代アートは難解?】なぜ現代アートはよくわからないのに、ファッションや音楽、漫才などのことはよくわかるのだろうか?
「現代アート?」また、ぼくの作品を観て「?」が頭に点灯する光景を数多く目の当たりにしてきましたが、なぜそのような状態になってしまうのでしょうか。ぼくの考察です。
あなたは何者?芸術家になるなら揺るぎない自分の肩書きを持とう!
日本にはニューヨーク市が発行しているプロの芸術家証明書というものがありません。つまり芸術家の定義がないようです。どのような人が芸術家になっていくのでしょうか。
唯一誰にも拘束できない想像力!不必要な遊びの必要性とは?
藤原和博さんの講演映像を拝聴して遊びと想像力について考えたことです。アート(芸術)は不必要な必要性あるものです。前回の続きです。
【解釈の発生】飽きないアート作品とは?あと本ブログのたった1つのルール
素晴らしい作品というのは何度見ても飽きません。それは長い時間に渡って人々の目に触れられていくことを意味しています。そのような作品についての考察。それに関連したぼくのブログに設けている1つのルールとは?
現代アートは異質であるが故に社会にもリンクしている
アート?好きなことができていいねぇ。と今までに何度も聞きました。しかし現代アートも花屋さんで売っているお花もさほど変わらないのではないでしょうか。世の中の全てはリンクしているのです。
ベルリンのコマーシャルギャラリーと日本の貸画廊で展覧会をしてわかったこと
日本でギャラリーと言われている場所は90%くらいの割合で貸画廊だと言われています。世界的にはアートギャラリーといえばコマーシャルギャラリーのことを指します。それらの違いは何なのでしょうか?
現代アートではなく、建築や映画界の環境は世界と比べてどうなのだろうか
現代アートの環境はまだまだ世界と乖離していると言われていますが、建築や映画界の環境はどうなのだろう
素晴らしい作品や思想などの物事はどのように後世に残っていくのか
「本物とは」を考えるシリーズ。どのような作品がどうのようにして後世に残っていくのか。一つ言えることは、物事や思想を残していくのは、それらを生み出した人ではなく他者であることです。
アート作品はあなたの生活をどのように変えるのか
アートは利便性のないものですが、何かしの不思議な魅力が詰まっています。アート作品はあなたの生活をどのように変えるのでしょうか。ぼくの考察です。
ポップアート -作品の表面を見てくれ!ウォーホールの大衆的記号とリキテンスタインのドット-
ポップとは大衆を意味するポピュラーの略。ウォーホールやリキテンスタインが巻き起こした一大ムーブメント、ポップアートについてまとめてみました。
ネオ・ダダ アートをぶっ壊せ! ジャスパー・ジョーンズとラウシェンバーグの反発
現代アートって、わからないという言葉をよく聞きますが、歴史や作品背景を知れば、このアートジャンルも面白いんですよ。今回は、抽象表現主義の次世代の動向として登場したネオ・ダダのお話をしますね。
ジャクソン・ポロックのアクション・ペインティング 抽象表現への挑戦
現代アートってわからないという言葉をよく聞きますが、歴史や作品背景を知ればこのアートジャンルも面白いんですよ。ということで今回はジャクソン・ポロックと抽象表現主義のお話をしますね。
【ミニマルアート】もう削ぎ落せない!ジャッドが辿り着いた境地とは
現代アートってわからないという言葉をよく聞きますが、歴史や作品背景を知ればこのアートジャンルも面白いんですよ。ということで、今回は、抽象表現主義の最終形、ミニマルアートについての話をします。
ドローイングはスケッチではなく「前兆」或いは「予兆」である
ドローイングというのは、作品のスケッチではなく、その「前兆」或いは「予兆」であるとぼくは考えています。ドローイングについての考察です。