彫刻は触覚の芸術、そして「現実」と「行為」 : ヨーゼフ・ボイスの社会彫刻論とドローイング
触感の芸術、社会芸術論、フォールド・ドローイング
彫刻家の大黒貴之(@takayuki_daikoku)です。
彫刻とはどういうものかと尋ねられれば、「現実」と「行為」だと答えるでしょう。
18 世紀ドイツの哲学家ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーは、彫刻は触覚の芸術であると論じました。またそれは世界を理解する根源的な感覚でもあると。彼の言葉を借りるなら、それは彫刻家の身体的な行為によって生み出された作品が現実に「ある」ということなのだと解釈しています。「ある」とはドイツ語でSein/ザイン、英語ではbeという概念になるのだと考えます。つまり「何か」が、目前に存在しているというイメージです。私の作品は、そのような彫刻的アプローチで制作されています。
絵画は平面性の中にイリュージョン(幻想)を形成させるのに対して、彫刻は三次元のものが目前に厳然として「在る」ことが挙げられます。現在では彫刻の名の通り「彫る」「刻む」という概念はすでに突破されており、あらゆる表現技法や素材が使われています。
ドイツの彫刻家、ヨーゼフ・ボイスは、社会彫刻論を唱えて、全ての人は芸術家であり、彼らによって形成された社会の現前性こそが彫刻なのだと提唱しました。
1つ言えることは、三次元の物体としての彫刻も社会彫刻としても、人の「行為」によって「現実」が出現するものではないかと推測します。
それは行為によって押し出された「物体」や「足跡」のことであると考えます。
Folded Drawings with dots (white-90-90-#01), 2020, 90×90cm,
紙に鉛筆とアクリル絵具・木製パネル, 個人蔵, photo:Takayuki Daikoku
2017年から制作をしているフォールド・ドローイング・シリーズ。
ドローイングから発展したこの作品は、fold(折って)drawing(線を引く)という意味が含まれています。初期の作品は、白と黒のみで構成していましたが、やがて赤、緑、青などの色も取り入れるようになりました。線というのは通常、鉛筆やペン、筆などで引きますがが、このドローイングに描かれている線の一部は「折る」ことによって描かれています。
その「行為」を行うことによって、フラットな二次元であった紙は、折った箇所を起点にわずかに盛り上がり三次元になります。そして、折って描かれた線の周辺には、鉛筆や筆で引かれた線の連続があります。ただ、そのどちらも「線」であることには違いありません。平面と彫刻の境界、そして線の境界はどこにあるのでしょうか。
このようにフォールド・ドローイングは、「折る」という行為を通過して生まれます。鉛筆や絵の具も使用しますが、紙に対して「折る」という直接身体を使った行為をします。折り目がわずかに突起することで平面性は失われ、そこにはイリュージョンではなく「在る」という現実が発生することになります。
Folded Drawings with dotsシリーズでは、いくつもの穴を開けることによって空間が現れます。重ねられたドットの空間に発生する光と影は、彫刻とドローイングの間を行き来させます。
ちなみに日本では彫刻のことを「立体」と呼ぶことがおうおうにしてありますが、ドイツ語で立体は「三次元(drei Dimensionen<ドライデメンジオーン>)」を指すことであり、「彫刻(Skulptur<スクルプトゥア>)」とは違う概念であるようです。
Folded Drawings with dots (white-100-200-#01), 2020, 100×200cm,
pencil and acrylic paint on paper/紙に鉛筆とアクリル絵具・木製パネル
photo:加藤健/Ken KATO
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。