なぜアート作品は高額な値段になるのか?ゴッホの「農婦の頭部」からの考察
彫刻家の大黒貴之(@takayuki_daikoku)です。
ゴッホやピカソにセザンヌ・・・どうしてアート作品って、ニュースで騒がれるような高額になってしまうのかって不思議に思いませんか?
当然ゴッホにしてもピカソにしても最初から何億円などいう高額な値段がついていたわけではありません。もっともアート作品は形が残らないものや残るものでも、原価、製造コスト、人件費などから割り出した値段をつけていません。ピカソが描いた絵画は何億円もする(2,021年のニュヨークのオークションでは、1932年に描いた油絵≪窓辺に座る女≫が1億340万ドル(約113億円)で落札されました)のに無名の作家が描いた絵画には5千円や1万円の値段しか付きません。
今回は「どのようにしてモノの値段は決まっていくのか」を考えてみます。
ゴッホの初期作品「農婦の頭部」に付いた価格変動
Photo credit: archer10 (Dennis) 84M Views via VisualHunt.com / CC BY-SA
2003年に銀座のオークションに出された「農婦の頭部」と名付けられた絵画。出品当初は、誰か書いたかわからないという理由で1万円の設定だったといいます。しかし、アムステルダムのゴッホ美術館の鑑定によってこれがゴッホが描いたものだと認定されるとなんと、6600万円の価格で落札されました。
当時、その報道を見ていた私の父が「美術作品というのは、作品よりも名前が大事なんやなぁ」と呟いたのを覚えています。作品の内容よりもその背景のデータ、つまりはコンテキスト(文脈)が重要であると。このゴッホの例だと、日曜画家のおじさんが描いたのか、それともゴッホが描いたのかということです。そして、本物のゴッホが描いたという判断をゴッホ美術館が認定したことも非常に重要な要因となります。
アート作品を観る鑑賞者の知識、経験度によって見方が変わる
アート作品を鑑賞する人がその対象に対して知識や経験があるということは非常に大切なことです。
アート作品に限らず、着物や宝石、高級食材、高級ブランド商品、さらには紙幣やコイン、切手、お金、骨董品、ワインなどその対象物の背景を知っていないとなぜそのような値段がするのか理解できません。ジャングルの奥地に住んでいる原民族に一万札の束を見せても、きっと薪用の種火の使われるくらいだと思います。
日本で人気のある印象派のセザンヌやモネ、ゴッホの展覧会が開催されると長蛇の列ができるそうです。鑑賞してよかったと満足して帰っていく人たちがほとんどだと思いますが、もし事前に彼らの絵の知識やその背景を知らなかったら果たして同じように思えるでしょうか?
彼らは、その絵を前にする以前にテレビや雑誌、新聞、本や学校で得た印象派の知識を持っています。ひまわりや家、草原など鑑賞者が持っている経験と照らし合わせてみることができるのです。ゴッホの概要、彼の生い立ち、生前は1枚しか売れなかったというストーリー。そしてゴッホの絵の値段、さらには、それらゴッホ作品の多くはオランダのアムステルダム美術館に収蔵されているということなど。そのような情報を元にして、ほとんどの鑑賞者はゴッホの絵を前にしているのです。だから、先のようにゴッホという名前が分かったとたんに値段が6600万円にも跳ね上がる。
生前ゴッホは一枚しか絵が売れなかった
少し話が逸れますが、今でさえ何億、何十億もするゴッホの絵。
先に書いたように生前は1枚しか売れませんでした。つまり誰も評価する人がいなかったのです。今でこそ、ゴッホは色彩学が登場する前にすでに補色(色相環の対面同士の色。例えば緑と赤、黄色と紫)のことを理解していたんだ!とか言われることもありますが、それはあくまで結果論、後付けです。
彼は「絵を売りたい売りたい」と言って死んでいったそうです。
彼と同じく、フランスの画壇に登場した印象派のグループの絵も当時は全く評価されず「なんじゃ、この下手くそな絵は、こんなもんはアートじゃないぃ!!」との画壇の大先生方に酷評されました。ゴッホは、さらに悲惨でその印象派のグループからも「あんなものは絵じゃないよね」と酷評されていたそうです。
そして唯一、絵のことを理解してくれた画家仲間のゴーギャンも彼から離れていくことになります。
価格はそのモノに付随する情報によって決まる
じゃあ、どうして、現在ゴッホの絵には高価な値段がついているのか?
もうなんとなく、お判りだと思います。そう、その絵に「情報」というものを肉付けをして、売り出していった人たちがいたからです。そのような情報が、新聞や雑誌などを通して広まり、そして実際に売買され、人の手から手に渡っていくことによって、さらに情報やストーリーが肉付けされていく。芸術家は死んでから、売れ出すということもよく言われますが、死んでからの方がストーリーがつくりやすいからなのかもしれません。人の死って何かものすごく深くて人の永遠のテーマだと思いますから。
世の中にあるモノの価値とは「情報の価値」のことなのです。
希少性、生命にかかわるもの、新しい素材、エネルギーとして使えるか、物語があるか、感動できるのか、便利なのかなど、これらは全て「情報」なのです。
例えば、車は、運転すれば歩かずに長距離を移動できるとか重い荷物を運ぶことができる、高級車を持っていると異性にモテる、4ドアのベンツは会社の経費にできるとか。そのような情報を知っていて、人は車を買うのです。ですが、この車が故障して動かなくなったらどうでしょうか。これはただの鉄のガラクタに変わってしまいます。
どれだけの情報がその対象物に込められていてそこからどれだけの人に影響を与えらるのか。そして、供給と需要に比例して物事の価値は高まっていくのです。
現代アートの世界においては、自分がつくった作品をまず誰か第三者に発見してもらいそして、彼らに情報という肉付けをしていってもらう必要があります。
その人たちのことを「バリューメーカー」と言います。
つまりギャラリスト、コレクター、評論家、美術館、オークションハウスなどがそれに当たります。
そう考えると現代アートというジャンルの中で作品の価値を上げていくには、やはりアート・ワールドに入っていくことが最初の一歩になるのでしょう。
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。