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彫刻家の大黒貴之(@takayuki_daikoku)です

日本で育った私たちが最初に、アート、つまり「美術」という言葉を最初に知るのはおそらく中学校でしょう。小学校では図工という教科で、絵や立体物などを創作します。私は、中学校、高校で美術の授業を受け持った経験があります。公立中学校では義務教育ということもあり、1年生〜3年生までを通して美術授業がありますが、高校になると、いわゆる音美書は選択授業となり、生徒の中には3年間一度もそれらの芸術教科を受けずに学校を卒業していきます。

特に社会人になって多くの大人がアートについて語るとき、アート作品というものは、よく理解できないもので、時間やお金を十分に持った人たちのものであり、私たちには関係ないものだと思われがちな側面があります。なぜなら、アート作品をつくったり、購入して自宅やオフィスに展示することで、お金を生み出すわけでもありませんし、まして病気が治ったり、生活が便利になるわけでもないからです。つまり、多く人たちにとって、アートは実用性がないものだと思われる傾向にあります。そして、実際アートには実用性は兼ね備えられていません。

なぜ、多くの日本人にとってアートは遠い存在になっているのでしょうか?その原因の一つとしては、圧倒的に「鑑賞」という経験が少ないことが挙げられます。そこでアートの価値とは何か、また歴史的にどのようにアートは社会と関わってきたのか、そして現在に生きる私たちにとってアートはどのような価値を持つかを考えてみたいと思います。


Photo by Daria Nepriakhina on Unsplash

1.アート作品を創作することの価値

私たちは、生まれてすぐに言葉を話すことができません。そして言葉や文字の概念を学習するまでは、自分の気持ちや感情を上手く表現することができません。ですので、赤ちゃんは泣くことで、寂しさや恐れなどの感情、また空腹や排泄などの現象を特に母親に伝えます。生後1年くらいになると少しずつ、自分の身体をコントロールできるようになり、手で何かを「持つ」という技術を覚え始めます。そのころに鉛筆やペンを手に握らすと、紙や床に「線」引き始めます。殆どの幼児は最初に横の線、その後に縦の線を描くようになります。

その線は、非常に身体的な線で、大人になるとなかなか描けない素晴らしい線だと私には映ります。それを機に、粘土や絵の具、紙などの素材を用いて、様々な表現をするようになります。4歳〜5歳になると目の前の事象をより具体的に捉えることができるようになり、表現される絵や立体物は、対象物である魚、家、人物、昆虫、動物、植物など具体的な形となって表現されます。

子どもたちにとって、そのような創造物を作り出す過程はとても楽しく、また夢中になれる時間だと思います。20000年前に描かれたと言われるラスコー洞窟の壁画はとても有名です。洞窟の壁面や天井面には、馬、山羊、羊、牛などの絵が何百も描かれています。また絵を描くことや立体物を作るなどの物作り以外でも野菜や料理など何かをつくるこという行為は、人類の喜びです。そして、それらは何かを創造するという人にしかない能力であると言えます。

2.物自体としてのアートの価値

日本でまだアートという言葉がなかった江戸時代には、着物、刀、袋物、髪飾り、根付など、非常に多彩なデザインや技工が施された物がありました。またかつて西洋の王室や貴族は、金、銀、象牙などを装飾類に使用しました。フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が頭に巻いている青いターバンはラピスラズリというダイヤモンドに匹敵する価値のある青石を砕いて描かれています。それらは職人や画家の卓越した技術もさることながら、使用されている物自体にも価値があると言えます

3.歴史的なアートの価値

人類が字を読めるようになり、また情報がより早く広く世間に広まるようになったのは、ドイツのヨハネス・グーテンベルクが活版印刷術を発明した1450年頃だと言われています。その出来事がきっかけとなり、ルネサンスが起こり、宗教改革が始まっていきました。

それ以前は、紙に書かれた文字情報を残すことはほとんどできませんでした。羊皮紙や子牛皮紙に文字が書かれ、不必要であると判断された文字は一度消されて、次の文字が上書きされていました。それを「パリンプセスト/palimpsest」と言います。しかし、紙という媒体は脆いものなので、厳重な管理保管をする必要があります。

彫刻や絵画などのアート作品は、それらの作品が制作されてから何百年、またそれ以上の時間が経過した現在にも語り継がれてます。例えば、古代ギリシアやアテネの石彫、またルネサンス以前の宗教絵画を美術館で観ることができます。日本にも土偶や土器などがあります。それらは当時の時代背景や文化、生活などの様子を伺い知れる非常に貴重な情報の集積と言えましょう。

4.アートの宗教的な価値

世界中の宗教では、その概念やメッセージを伝えるのに彫刻や絵が使われてきました。

美術史を語る上で、キリスト教の宗教絵画を外すことはできません。17世紀頃までは、多くの宗教的絵画が残されています。ルネサンス期のミケランジェロやダ・ヴィンチ、ラファエロをはじめとした芸術家たちもキリスト教の教会から依頼されて制作された作品があります。

また先程の活版印刷が広まる以前は、文字を読むことができない人がほとんどだったので、絵や彫刻を用いて視覚的にキリスト教の概念や聖書で起こる出来事を人々に伝えていました。18世紀半ばまでは、キリスト教やギリシア神話などを主題とした絵がほとんどでした。中国から伝来した日本の仏教も、極楽浄土、地獄絵、仏像、阿弥陀像などを用いてその概念を信者たちに伝えてきました。

5.アートの社会的な価値

1789年にフランス革命が起こり、絶対王政が崩壊しました。それまで王家や貴族などからの依頼で肖像画や風景、街の建物などを描いてきたお抱え画家たちの仕事も無くなりました。それ以降、伝統的な絵を何の疑いもなく描き続けてきた画家たちは、絵を描くという動機を模索し始めました。やがて印象派の画家たちは、それまでの伝統的な技法にも距離を置いて日常の風景や一般市民などを描きました。それはいわゆるジャポニズムと言われ、浮世絵から大きな影響を受けたからだと言われています。

さて、21世紀に生きる私たちにとってのアートの価値とはどのようなものなのでしょうか?歴史上で芸術作品は様々な価値を付随させてその時代の役割を担ってきました。ここまでで見えてきたことは、いずれも目に見えないもの、つまり概念やイメージを彫刻や絵などによって、視覚化しているということでしょう。

フランス人哲学者、ジャン=フランソワ・リオタールは1979年に20世紀に起こった大きな主義、つまり大きな物語は終焉し、小さな物語へ移行していくと主張しました。2000年代に入り、インターネットが急速に世界中に張り巡らされ、そしてほとんどの人たちがスマートフォンを持つようになりました。AIの台頭によって、今後ますます世界はさまざまな生き方や考え方が増えてくるでしょう。

今日の人間社会を眺めてみると、宗教的、人種的、性的、民族的マイノリティーなど多くの人たちが並存しながら、命の営みをしていることを伺い知ることができます。アートは、目に見えないものを可視化できるコミュニケーションツールであると言えます。アート作品や創作物は、あなたの世界観、ストーリー、文化、環境などを他者と共有できるものとなります。なぜなら、私たちの先人たちもアートを通じて、その芸術家の時間を一枚の絵、一体の彫刻として封じ込め、今に生きる現在の私たちとコミュニケーションをとっていることがわかるからです。

同じように、今日生きる私たちは、自分たちが知らない、他の文化、宗教、意見、視点をアート作品を通じて発見することができる可能性を持っています。そのことは、私たちが多様性文化社会を構築することの重要性に気づくきっかけになるかもしれません。生物界における多様性の意義は、環境変化に対して非常にしなやかで強いことであるという研究結果が報告されています。自然的多様性から学べば、それは人間社会にも同じことが言えるのではないでしょうか。現在において、アートはそのような異なる概念や文化など対して、接触できるコミュニケーションとしての役割を持つ社会的価値があると言うことができます。



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↑↑「なぜ私たちは死ななければならないのか?」という生物学的見地から、
交差する紐を解くように専門的知識も交えながら死について解明していく名著。


↑抽象と具象(具体)という背反する言葉がありますが、
アーティストにとってどちらの能力が必要になるのでしょうか。 


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