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彫刻家の大黒貴之(@takayuki_daikoku)です。

私たちは「アート」や「アーティスト」という言葉をよく聞いたり、使ったりします。しかし、アート作品をどのように鑑賞すればよいのか、学校の授業で習う機会は少なかったのはないかと思います。公立中学校では3年間を通して美術授業がありますが、高校になると、いわゆる「音美書」は選択授業となり、中には3年間一度もそれらの芸術教科を受けずに学校を卒業していく生徒もいます。上手く絵を描くことができない、生きていくのに役にたたない、お金持ち以外の人は関係のないもの…などアートに対してネガティブな印象を持つ人もいるかもしれません。

かつて、私は中学高校で美術科の授業を受け持っていたことがありますが、年間の授業数とても少ないと感じていました。その中で美術鑑賞の授業も設けていましたが、制作の時間を鑑みると十分な時間を確保することができませんでした。多くの日本人にとってアートは遠い存在になっている理由の一つとして「鑑賞」という経験が少なすぎることが挙げられます。

美術鑑賞の仕方:アート作品を鑑賞するという行為はなぜ大切なのか

例えば、一枚の絵画に描かれているリアルな描写や技術に惚れ惚れするのも一つの鑑賞の仕方です。しかし、その絵画をよく観察すると他にもっと多くのことが描かれているかもしれません。どのような線、色々な形、様々な色、キャンパスの中にある余白や空間、他の登場人物や動物、建物、風景など。さらに、その作品が描かれた歴史背景やアーティストの考えなども知ると、意外なほど多くの情報が一枚の絵に詰まっていることがわかることでしょう。そのようにその絵と向き合ってみると、きっと多くの発見や気付きがあるのではないでしょうか。もちろん、料理や音楽、ファッションなども同じで自分の好みがありますし、全ての作品を同じように見ていてはとても時間が足りません。ですので、先ずは自分がいいなぁと感じる作品を「観る経験」を積むことで鑑賞する技術は自然に身についてきます。

さて、アート作品を鑑賞するという行為はなぜ大切なのでしょうか。アーティストは、独自の目線で世間を観て、模索しながら自分なりの答えを探求し、彼女/彼らの時間を作品という目に見える形にして「世に問う」という活動をしています。アート作品を鑑賞するという行為はそのようなアーティストの時間を共有するということになります。そして、ここで非常に大切なことなのですが、アート作品はアーティストだけで成立するものではないということです。現代アートの父とも言われるマルセル・デュシャンはかつてこのようにいいました。

創造的行為はアーティスト一人だけで行われるものではない。鑑賞者は作品の内なる特質を読み取り解釈することで、作品と外界との接触を生じさせ、そのことによって創造的行為に参画するのである。

つまり、鑑賞者とアーティストがつくった作品との間で、何か共鳴やリンクが起こることによってアート作品は完成するということです。そして鑑賞するということは自分だけのものの見方を発見する試みでもあるのです。先程にもありましたように、アート作品は答えを提示しているのではなく、「問い」を視覚化しているものです。ですので、鑑賞者によって十人十色の答えや解釈が出てくることが素晴らしいことなのです。

美術鑑賞と言語化:AIやテクノロジーの発展に伴って、自分の意見や考え、見方が重要になる

近い将来、AIやテクノロジーによって生活はより便利になる一方、多くの仕事が無くなっていくと言われています。しかし、このような科学やテクノロジーの急激な進歩によって、同じようなことは200年前の産業革命や、2000年のインターネット革命の時も同じように言われていましたし、また実際に多くの人の生活スタイルや仕事スタイルが変わりました。おそらく、今後、世界は、現在以上にたくさんの考えや生き方がでてくるでしょう。そのような時に、自分のもの見方や考えを持つことはとても大切なことだと考えます。

20世紀型の日本の生活スタイル、1億総中流時代はとっくに終焉し、今後、家庭ではロボット掃除機、高性能な自動洗濯機、仕事では自動運転車や無人化コンビニなど、スマホをハブとしてますます機械化されていきます。そのような社会では、何かを創造できるクリエイティブな発想や行為、そしてそのイメージを人に伝えるために言語化できる力が必要になってくるでしょう。自分の直感や感覚を言語化できることの重要性はここにあるのだと考えます。

鑑賞によって磨かれる感覚から言語化へのシフト

私はドイツに6年以上滞在してアーティストとして活動していました。特にベルリンには多くのギャラリーや美術館があります。ベルリンのギャラリストやアーティスト、また鑑賞者たちと私の作品を前にして話をしながら気づいたことがありました。ドイツ人は論理的だと言われますが、彼らはアート作品を鑑賞するとき、最初は個々の直感や感覚で判断をしていました。そして、その後になぜそれが自分にとって好きだと感じるのか、また好きになれないのか、どのようなところが良いのか悪いのかを「言語化できる」ということでした。

自分のものの見方を発見するときに、アート作品や鑑賞する行為は、自分の感覚を言語化させるとても良い訓練になります。昨今、ビジネスの世界でもアート思考を取り入れるとかオフィスに現代アート作品を展示することをよく聞きます。そのような現象は、日本でも個人や会社の独自の考えや意見、見方を大事にする社会がやってくるという前兆なのだと考えます。


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なぜファッション、音楽、芸能、アニメのことなどはわかるのでしょうか?


参考文献



 

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