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彫刻家の大黒貴之(@takayuki_daikoku)です。

ずいぶん前になりますが、2011年2月1日の朝日新聞の文化面で「建築家、海外で跳ぶ 高まる評価、少ない国内建設」という記事がありました。日本の建築家たちは、ポンピドーセンターの分館やルーブル分館など世界の重要な建築の設計をしています。日本の著名な建築家の仕事は多くの割合が海外にあるといいます。しかし裏を返せばそれだけ国内の仕事が少ないということでもあります。

建築界を取り巻く環境は他の芸術界と共通するところがある

ベルリン・ハンブルグ駅美術館

新聞記事はどのような内容だったのでしょうか。
少し引用してみます。

~以下引用~
建築評論家の馬場璋造さんは「日本の建築は国際的に評価されているのに、その文化性や才能を求める意欲が自治体に乏しくなった」と嘆く。ポンピドーセンターの分館を設計した坂茂(ばん・しげる)さんも「海外からは、いきなり仕事の依頼や指名コンペへの招待があるが、日本では人間関係を築かないとなかなか仕事がこない」と話す。また、アジアや欧米では、政治家や首長の意識も違うという。一方、「日本では、建築を社会や市民が考える風土が十分に育っていないのに、建築家がデザインの抽象性や理論を訴えても、社会から遊離するだけ。もっと社会に入っていく論理をつくらないと」建築家の側にも問題があった、と指摘する建築家もいる。
~ここまで~

ざっと記事の一部を引用してみましたが専門業界とそれ以外の人たちの間にあるギャップは留意するべき問題だと思います教育段階から芸術を日常的にしていかなければ何が良いのか良くないのかすら判断ができません。フランスでは、幼稚園の遠足でルーブル美術館にいって絵を鑑賞し子供たちの意見を出し合って、絵の話をさせるといいます。引用文にある「アジアや欧米の政治家や首長の意識が違う」のは、幼少から成長する過程で鑑賞という体験を積んでいるからだと考えられます。業界のターゲットが国内にしか向いていないと言われている音楽や映画では、それでもまだ子供のころからの体験があります。ですので、その経験は自分で映画や音楽の良し悪しを判断することにもつながっていきます。

日本のアート環境を見れば、昨今、日本の各地で現代アートの芸術祭が行われるようになり多くの人たちが作品を鑑賞する体験をするようなってきているのも確かです。これに加えて、例えば自分の部屋やオフィス、会社のロビーなどの日常空間にも現代アートの作品が増えてくるとさらにその体験が増していくことになります。先の新聞記事は2011年のもので、それから10年以上が過ぎた2022年の現在ではどのくらい国内外の乖離は縮まっているのでしょうか。

もう少し時間を遡って、私が学生だった20年前に比べると「現代アート」というキーワードをよく聞くようになりました。また若いアーティストが活躍できる場所も増えているように映ります。インターネットの普及によって情報が広まるスピードが早いことも挙げられると思いますが、いろいろな人たちの尽力が組み合わさっていくことで、そのような環境になってきたことは確かなことです。そう考えると日本社会にもアートを日常に取り入れる行為が少しずつ広がって来ているようにも映ります。いずれにしてもアートや建築などの芸術分野が日常的になるには、長い時間をかけてジワリジワリと浸透させていくしかありません。



↑「鑑賞」という経験が少なすぎる日本の美術教育の中で、
今なぜ「アート思考」という言葉がビジネスの世界で言われ
始めているのでしょうか。アート鑑賞の重要性を考えます。 


↑現代アートは難しくてわからないというよく聞きますが、
なぜファッション、音楽、芸能、アニメのことなどはわかるのでしょうか?




 

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