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彫刻家の大黒貴之(@takayuki_daikoku)です。

日本人は、自分を世間体に合わせる傾向があると多くの人がすでに以前から指摘しています。私が6年以上生活をしていたドイツでも社会の雰囲気やメディア、家庭環境によって価値観が形成されています。

しかし、ドイツ人は一人ひとり意見を持って主張しているように映りました。日本人に比べるとはっきりとYES或いはNOが言える文化があると感じました。

学校的価値観とは何か?

社会派ブロガーのちきりんさんとトッププロゲーマーの梅原大吾さんの著書「悩みどころ逃げどころ」では、ちきりんさんと世界のトッププロゲーマーの梅原大吾さんとの対談がまとめられており非常に興味深い内容でした。

その中に「学校的価値観」への疑問が提言されていました。私たちは学校教育の中で知らぬ間に学校的価値観を植え付けられているとちきりんさんは言います。

その価値観は「学校が提示した通りに進めば人生はハッピーなんだよ」というレールに乗ることが大事なことだといいます。それは高得点だったり、高い偏差値であったり、「これができれば褒められます」的な価値観のことです。

「でもその価値観って本当に正しいの?」っていう問いがこの本には書いています。日本社会では、学歴や経歴は重視される傾向にあります。同じ内容の発言をしていても、その人の履歴で判断されてそれが仕事の受注率にも影響する。

だから学歴や経歴詐称がよく起こるんだともちきりんさんは指摘しています。時間がないから、その人の履歴を見て将来的にも有望だろうと判断するのは手っ取り早いことです。でも同時に思考停止になっている可能性もあります。


Photo by Mihai Surdu on Unsplash

芸術鑑賞はイメージや見たことを言語化できる力を養える

忙しい現代社会の中で全ての情報を処理することはとても難しいことですが、いわゆる世間の価値観に惑わされず、自分の考えに沿って人や社会を見る目は、今後ますます大切になってくると考えます。

では、どのようにして自分の意見を考えて、主張ができる力を身につけることができるのか。もちろん、いろいろな方法がありますが、その一つとして芸術鑑賞が挙げられます。

一枚の絵画、アート作品には、構図、色彩、アーティストの考え、時代背景、テクニック、アートの歴史など様々な情報が詰まっています。周囲の喧騒から離れて、その作品に向き合う経験をし、それを言語化することは、自分の意見を言語化することにもつながります。

素晴らしいアート作品からは鑑賞者によって様々な解釈が生まれます。しかし、それは最初、言語化できない抽象的なイメージです。

同じように自分の意見や考えも最初は、とても曖昧なイメージでしかありません。鑑賞者によって異なるアート作品の印象や一枚の絵画に描かれてる事柄を言語化できることは、自分のイメージを言語化できることにもつながります。またそれは、自分の美意識を高めることにもつながります。

昨今、個人の時代になりつつあると言われていますが、そのためには自分自身の意見を持ち判断できる力が同時に必要になってくると私は考えます。


参考書籍



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